アルマン

Armand Pierre Fernandez
(1928-2005)

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イヴ・クラインやセザールらとヌーヴォー
レアリスムという集団を組み、廃物を芸術
作品に変容させることで第二次世界大戦後
の大量消費社会の中の生産、消費、廃棄の
メカニズムを批判した−アルマン    


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ピエール・フェルナンデス・アルマン「シュバレットの集積(オブジェ)」
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 作家名 ピエール フェルナンデス アルマン
 制作年 1982
 技法 シュバレットを樹脂で固定
作品サイズ高さ49.5X幅25X厚さ5.2cm
作品の状態良  好
台座のサイズ高さ10X幅29.4X厚さ7.3cm
 限定 100部
 サイン スクラッチサイン
本人刻みサイン
格安卸価格売却済


売却済

ヌーヴォー レアリスム
消費社会の日常生活を作品に導入した作家たちが、美術評
論家P レスタニーの音頭のもとに1960年に始めた運動である
主要なメンバーは、自壊する機械を製作したJ ティンゲリー
屑篭の中身をケースに密封したアルマン、車体をプレスして
作品とするセザール、破いたポスターを重ね合わせ新たなイ
メージを作るJ ド ラ ヴィルグレやR アンス等である。

なかでも62年に急逝したY クラインは、モノクローム絵画を初
めとして人体の拓本やバーナーを用いて制作した絵画等さま
ざまな手法と素材を用いて物質と非物質とが統合された表現
を行ない、その活動の多彩さでは群を抜いていた。
結成10年を記念して70年にミラノで行なわれたイヴェントを最
後に参加者らは個々の道を歩んでいる。素材の物質感や量
感により、際立った作品を多数制作したセザールやアルマン
の回顧展が近年相次いでパリで開催されたことは、戦後フラ
ンスを代表するこの運動の歴史的評価を確立しようとする試
みといえるだろう。
(飛嶋隆信)
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アルマン

Arman
本名:アルマン・フェルナンデス
Armand Pierre Fernandez
1928年 11月17日ニースで北アフリカからの移民の一家に生まれた

1938年 アマチュア画家で写真家、チェロ奏者でもあった父親から
      油絵を習う
      音楽や楽器への興味を持った

1946年 ニースの国立美術学校入学、後に退学している

1947年 ニースの警察の柔道教室に入門し、後の芸術上の盟友
      イヴクライン、クロード・パスカルの2人と知り合う
      彼らは3人でヨーロッパ各地へヒッチハイク旅行を
      したほか、ファースト・ネームだけをサインした
      ゴッホにならって姓を捨て、ニースの海岸で真っ
      青な世界を3分割する相談をし、アルマンは大地を、
      パスカルは海を、イヴクラインは空を取ったと言わ
      れている

1949年 美術学校を退学したアルマンはパリに移り、エコー
      ル・ドゥルーブルに入ってシュルレアリスム風の絵
      を描いていた

1951年 マドリードへイヴクラインとともに「武士道会」の柔道
      講師として赴く

1953年 兵役についた後、ニースに戻る

1954年 ハノーファーのダダイスムの作家クルトシュヴィッタ
      ースの廃物を寄せ集めたアッサンブラージュの作品の
      展覧会を見て、衝撃を受ける
      彼はシュヴィッタースがゴム印を紙に押して描いた
      ドローイングを頭に置きながら、働いていた事務所に
      あったさまざまなスタンプを何度も何度もキャンバス
      に押すスタンプ絵画(彼はこれをカシェ(Cachets)「印」
      と呼んだ)を作り始めた
      アルマンは黒や赤のスタンプを押したりずらしたりし
      ながらコンポジションを作り、やがてゴム印以外のピ
      ストンや楽器、マネキンなどのオブジェに色を塗り、
      キャンバス上を動かす痕跡絵画も始めた

1956年 パリでスタンプ絵画などによる初個展を開き成功を収める

1959年 オブジェ自体を用いた彫刻作品を制作
      透明容器の中に生ゴミや衣服、展覧会に来た者が持参
      している紙くずなどを集積したプベル(「ゴミばこ」)を
      制作
      破壊したヴァイオリンやチェロ、ピアノなどの楽器の
      破片を板やコンクリートに固定した「破壊」のシリー
      ズを、コレール(『怒り』)と名づけたアルマンを
      有名にしたのは、1種類の中古品を集積したシリーズ
      である
      彼は砕いた楽器、靴、靴の木型、カメラ、ガスマスク、
      ゴム印、目覚まし時計、壊れた人形、フォーク、車の
      部品、松葉杖、サーベルなどを蚤の市などで大量に買
      い集め、1種類の品を木枠に押し込んだ作品を作った
      同じものが平面上に数十個も集められることで、個々
      の物は性質や目的を失った単なる粒になり、アイデン
      ティティーが解体するのである
      さらに細かな歯車や部品、絵具チューブやブラシなど
      を透明な合成樹脂に均一に封じ込める包含の彫刻も作
      っている

1960年 イヴ・クラインが画廊の中に何も置かない『空虚』展
      を開いた
      イリス・クレール画廊で、画廊の部屋いっぱいにゴミ
      を詰め込んだ『充満』展を開いた
      彼のこうした作品は、ピエール・レスタニら美術評論
      家の注目するところとなり、イヴ・クラインやセザー
      ルらのヌーヴォー・レアリスムという集団に参加した

1961年 ニューヨーク近代美術館での「ジ・アート・オブ・アッサ
      ンブラージュ」展に出展し、以後は半分をニューヨーク
      で暮らし、ロバート・ラウシェンバーグらネオダダの
      作家たちと行動するようになる

      ヌーヴォー・レアリスム解体後[編集]アルマンはヌー
      ヴォー・レアリスム解体後も集積の作品を続け、アメリカ
      に移ってからは新品も集積彫刻に使うようになった
      また楽器や工具、電話機など同一種類の大量のオブジ
      ェを、平面に貼り付けずブロンズなどで固めた立体作
      品や、ルノー社との『工業と芸術』の協定によって
      自動車工場の廃物や部品を利用して作った作品を制作

1968年 ヴェネツィア・ビエンナーレとドクメンタに同時出展

1973年 アメリカ合衆国国籍を取得し、アルマン・ピエール・アルマンとなる

1982年 パリ郊外のモンセル現代美術センターに設置した高さ
      18mのコンクリートの塔の中に60台の車を埋め込んだ
      彫刻、『長期間駐車』を制作

1993年 レジオンドヌール勲章を受章

1995年 レバノン政府の依頼で、内戦で破壊されたベイルート
      市街に、83台の戦車や軍用車両を積み重ねた高さ32m
      の彫刻、『平和への希望』を制作

      特に楽器を多く集積した理由は、チェロ奏者だった父
      の影響、キュビズムからの影響、その形態への興味か
      らだった

 2002年 がんである事が判明したが、家族の支えによって台湾
      や上海等に大規模なパブリック・アート作品を制作し、
      新しい「ポリクローム彫刻」を手がけた

 2005年 10月22日ニューヨークの自宅で没する
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