ホーム > 日本洋画作家 > 畦地梅太郎 >  畦地梅太郎略歴

畦地梅太郎(1902-1999)

『版画家畦地梅太郎は、情感あふれる「山」「山男」を
描き続けた作家としてよく知られている。
畦地が描く「山」「山男」シリーズの作品は、私たち
を和ませてくれるばかりか、優しく私たちを包んで
くれる。
しかし、畦地が描く「山」「山男」の中には凝縮され
ている強い意思表示がある。
それは、人として生きていく中で係わってきた社会
との間に横たわる矛盾を封じ込めているということ
である。そして、それを直截的に感じさせず、詩情
豊かに描ききっているところに畦地の人柄と畦地芸
術の魅力があるといえる。」と・・・
『いつも郷里の山河のたたずまいが頭の芯にしみこ
んでいたものか、私は、山を歩き山の版画を作るよ
うになった。戦後は、単なる山の景色を描くことの
むなしさを思うようになり、私の心の山男を描き版
画に作るようになった。』

畦地梅太郎年譜

1902 愛媛県の北宇和郡二名村に生まれる
   (現在の宇和島市三間町)

1920 上京する

1922 日本美術学院油絵の通信教育を受講する
   七星会を結成する

1926 内閣印刷局に勤務し、鉛版による版画を
   試みる
   はじめは油絵を志望していた畦地梅太郎
   ですが、そこで印刷技術に触れるうちに
   版画制作に興味を持つようになりました
   その後、版画家の平塚運一や恩地孝四郎
   の摺りを手伝いながら技術を習得します

1927 日本創作版画協会第7回展に出品し入選
   恩地孝四郎の指導を受ける
   内閣印刷局を辞し、版画家になることを
   決意する

1928 春陽会第6回展、国画創作協会第7回展
   に出品し入選

1930 第2回内国美術展覧会に出品し、国際賞
   を受賞
   第11回帝展に出品し入選

1932 洋画家であり版画家の岡田三郎助が会長
   を務める日本版画協会の会員になる

1935 版画集「伊予風景」制作のため、伊予の
   各地を巡る

1937 国画会第12回展に出品、国画奨学賞受賞
   夏に軽井沢で目にした浅間山に大変心を
   惹かれ、これをきっかけにテーマが街の
   風景から山へと移っていきました

1940 国画会第15回展に出品、国画奨学賞受賞

1943 東北アジア文化振興会の要請で中国に赴く
   (翌年帰国)

1944 国画会会員となる(1971退会)

1948 日本版画協会第16回展に出品、H賞受賞

1949 日本山岳協会会員となる

1953 第2回サンパウロ・ビエンナーレに出品

1956 第4回ルガノ国際版画ビエンナーレに出品

1957 第1回東京国際版画ビエンナーレに出品
   第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品

1960 第2回東京国際版画ビエンナーレに出品

1962 第3回東京国際版画ビエンナーレに出品

1967 近代日本の版画展に出品

1971 『頂上の小屋』等の五つの作品が宮内庁に
   買い上げられる

1973 畦地梅太郎<とぼとぼ50年>展愛媛県立
   美術館で開催される

1976 日本版画協会名誉会員となる

1979 「とぼとぼ60年畦地梅太郎版画展」が銀座
   ミキモトホールで開催

1982 畦地梅太郎山岳版画展が大町山岳博物館で
   開催される

1983 畦地梅太郎版画展が町田市立博物館で開催
   される

1985 愛媛県教育文化賞、愛媛新聞社賞を受賞
   畦地梅太郎展が愛媛県立美術館須坂市立
   博物館で開催される

1986 三間町名誉町民となる

1987 畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美
   術館で開催される

1988 南海放送サンパーク美術館・畦地梅太郎
   記念美術館開館
   畦地梅太郎展が新宿、小田急百貨店で開
   催される

1991 畦地梅太郎版画展が町田市立国際版画美
   術館で開催される

1998 町田市名誉市民となる

1999 「とぼとぼ96年畦地梅太郎展」が南海放
   送サンパーク美術館で開催
   4月12日逝去 享年96歳

2000 サンパーク美術館が回顧展を開催

2001 町田市立国際版画美術館が「生誕百年記
   念畦地梅太郎展・山のよろこび」を開催

2002 サンパーク美術館が「生誕百年記念展」
   を開催

2003 愛媛県北宇和郡三間町(現在の宇和島市
   三間町)に畦地梅太郎記念美術館開館
   梅太郎先生おかえりなさい展
   (畦地梅太郎記念美術館開館)

2004 畦地梅太郎の歩み展
   (畦地梅太郎記念美術館開館)

2006 山の版画家畦地梅太郎展
   (畦地梅太郎記念美術館開館)

2007 畦地梅太郎戦前の版画展
   (畦地梅太郎記念美術館開館)

2009 愛媛県美術館が「畦地梅太郎展 山のい
   のち、人のぬくもり」を開催
   没後10年畦地梅太郎展
   (畦地梅太郎記念美術館開館)

2019 町田市立国際版画美術館が「畦地梅太郎
   ・わたしの山男展」を開催

2020 愛媛県美術館が「没後20年 畦地梅太郎
   山のなか 本のなか」を開催

畦地梅太郎は、画家を目指した当初は街の風景も描
いていましたが、旅行先の軽井沢で浅間山に魅せられ
た30代半ば頃からは、山をテーマとした作品を多く制
作しています。
さらに、40代の終わり頃からは「山男」シリーズの制作
が始まり、このシリーズは畦地梅太郎の代表作品とな
りました。

畦地梅太郎の描く山男は想像上の人物であり、山の持
つ大きさ、美しさ、恐ろしさなどのイメージを擬人化
したものです。
山男の丸い顔、きょとんとした目、髭を生やした姿は
観るものをあたたかい気持ちにさせ、畦地梅太郎の山
への愛や親しみの気持ちがあらわれているようにも
感じられます。

また、1970年代からは山男とその家族を描いた作品も
制作され、それらに描かれる山男は畦地梅太郎自身を
あらわしているという意見もあります。
「山の版画家」とも呼ばれる畦地梅太郎は、山の紀行
文や画文集なども多く手がけました。

畦地梅太郎の代表作品

「山男」シリーズ
畦地梅太郎は1950年代から1980年代にかけて、数多く
の山男を描きました。
シンプルにデフォルメされた山男の、素朴であたたか
みのある姿が人気を集めています。

初期の作品では、1953に制作されたタバコとカップを
持っている『山男』や、同年に制作され白い布を顔の
周りに巻いた『山小屋の老人』が有名です。

また、山男が二人の子供を抱いている1975の『家族』
や、同年に制作された山男が家族に読み聞かせをして
いる『山の家族』なども、家族を描いた作品として人
気があります。

石鎚山
畦地梅太郎が山を描くきっかけになったのは浅間山で
すが、もう一つ彼にとって思い入れの深い山があります。
それは生まれ故郷である愛媛県の霊山、石鎚山です。

畦地梅太郎は石鎚山を描いた作品を多く制作しています
が、特に1985の『石鎚山』は彼の最後の版画作品として
広く知られています。
この作品は愛媛県県民文化会館(ひめぎんホール)にあ
る緞帳の原画として描かれました。

樹海をとぶ鳥
『樹海をとぶ鳥』は、ベトナム戦争で「北爆」(北ベトナム
本土への空爆)が激化した年である1967に描かれました。
上部に描かれた3羽の鳥は爆撃機を、下部に描かれた樹々
はベトナムの密林をあらわしているといわれています。
黒い背景に鳥の白い翼が印象的な作品です。

白い像
『白い像』には、1958に描かれたものと、1963に描か
れたものが存在します。
どちらもほとんど同じ構図ですが、異なるのはサイズです。
1963制作されたものの方が一回り小さくなっています。
下半分の樹海は下界を、上半分は3,000メートル級の偉大な
る世界をあらわしているといわれています。
畦地梅太郎画面に戻る