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バルチュス

Balthus(1908−2001)

1908にパリで生まれる。本名はバルタザール・ミシェル・
クロソウスキー・ド・ローラ
(Balthasar Michel Klossowski de Rola)

父親はポーランド貴族で、母親はブレスラウ(ヴロツワフ)
生まれのユダヤ系ドイツ人。
また、実兄のピエール・クロソウスキーはマルキド・サドや
フリードリヒ・ニーチェの研究者として著名な作家である。

ほとんど独学であったバルテュスは、ルーヴル美術館で古
典絵画の巨匠たちの作品を模写したが、なかでもピエロ・
デラ・フランチェスカの影響が大きいとされる。
古典を消化した、堅固な構成と繊細な描法でモニュメンタ
ルな女性や少女像を多く描いたが、活動当初はシュルレア
リスムや表現主義の全盛期であったため、作品の売り込み
に苦労 したバルテュスは一時衝撃的な題材を描き、話題
集めに腐心した。

1937アントワネット ド ワットヴィル(Antoinette de
Wat teville)と最初の結婚をし、息子スタニスラス・クロ
ソウスキー・ド・ローラ(Stanislas Klossowski de Rola)を
もうけるが、後に離婚。
しかし、この先妻とは生涯友人であり続けた。
スタニスラスは、後にバルテュスの作品集出版に当たって
執筆を担当している。

1962パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、
当時20歳だった節子・クロソフスカ・ド・ローラと運命的
な出会いをする。
1967に結婚、節子夫人も画家であり、2人の間には1973に
誕生した娘春美(ハルミクロソフスカ=ド=ローラ、ジュ
エリーデザイナー)がいる。
バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服
であった。

1964、作家で当時は文化大臣だったアンドレ・マルロー
によって、ローマのヴィラ・メディチ(芸術のためのフラ
ンス大使館の役割をもっていた)の館長に就任、文化交流
とともに館の再生にあたる。

晩年はスイス、ヴォー州、ペイダンオー地方のロシニエー
ルにある歴史的な山荘「グランシャレー」に暮らした。

2001年2月18日死去、葬儀には大統領や首相ほかボノやU2
などのロックスターも出席した。

勝新太郎はバルテュスの山荘に招かれ、居合抜きや三味線
演奏を行な
ったことがある(ドキュメンタリー映画『バルテュス』)

2019年5月13日、バルテュスがテレーズ・ブランシャール
をモデルに描いた絵画の一枚『ベンチシート上のテレーズ』
がニューヨークのクリスティーズでオークションに出品さ
れ、バルテュスの作品として過去最高額である1900万2500
ドル(約21億円)で落札された。

代表作
鏡の中のアリス Alice dans le miroir (1933)
 (ポンピドゥーセンター)
街路 La Rue (1933)
キャシーの化粧 La Toilette de Cathy (1933)
 (ポンピドゥーセンター)
ギターのレッスン La Lecon de guitare (1934)(個人蔵)
猫たちの王 Le Roi des chats (1935) (バルテュス財団)
山 La Montagne (1937)(メトロポリタン美術館)
夢見るテレーズ Therese revant (1938)
 (メトロポリタン美術館)
美しい日々 Les Beaux Jours (1944-46)
 (ハーシュホーン博物館と彫刻の庭)
部屋 La Chambre (1947) (スミソニアン美術館)
コメルス・サンタンドレ小路
Le Passage du Commerce-Saint-Andre(1952-54)(個人蔵)
ペイシェンス(一人占い) La Patience(1954-55)(個人蔵)
樹のある大きな風景 Grand Paysage a L'arbre (1960)
  (ポンピドゥーセンター)
暖炉の前の裸婦 Nu devant la cheminee (1975)
 (メトロポリタン美術館)
画家とモデル Le peintre et son modele (1980-81)
 (ポンピドゥーセンター)
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