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熊谷守一(1880 - 1977)

 1880年 岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる

 1900年 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学
        同級生に青木繁がいた

 1909年 第3回文部省美術展覧会に「蝋燭」を出品、褒状を受ける

 1910年 実母の死を機に故郷に帰り、そのまま6年を過ごす

 1916年 再び上京して第3回二科会展に出品
       二科会会員に推挙される

 1928年 日々の食事にも事欠くありさまで、次男の陽が肺炎に罹ったときも
       医者にみせることができず死なせてしまった4歳で死んだ息子・
       陽(よう)の死に顔を描く「陽の死んだ日」

 1930年代より墨絵を描き始め、晩年書も書くようになる

 1932年 後々池袋モンパルナスと呼ばれる豊島区長崎町(現千早)に移り住み、
       生涯にわたりここで生活する

 1940年代より輪郭と平面による独特なスタイルの油絵になる

 1947年 二紀会創立に参加
       21歳で死なせてしまった娘を悼みの葬式の帰り道を描く「ヤキバノカエリ」

 1951年 二紀会退会、無所属作家となる

 1956年 脳卒中で倒れる

 1964年 日本各地でも数多く個展が開かれるようになる
       パリで個展を開催

 1967年 文化勲章を辞退する

 1972年 勲三等叙勲も辞退する

 1977年 8月1日逝去 享年97歳
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