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国吉康雄(1889-1953)

 1889年 9月1日岡山市中出石町(現出石町1丁目)に生まれる 

 1906年 岡山県立工業学校(染繊科)を退学
       カナダのヴァンクーヴァー経由でアメリカ合衆国に入国、シアトルで就労

 1907年 ロサンゼルスに移る、働きながらロサンゼルス美術学校夜間部に通う

 1910年 飛行家を志すが断念、ニューヨークに移る
       雑役労働に追われながらも美術学校を転々とし、断続的に勉強を続ける

 1914年 インディペンデント・スクール・オブ・アーツに入学
       ヨーロッパ美術の新しい傾向に触れる

 1916年 アート・スチューデンツ・リーグに入学
       恩師ケネス・ヘイズ・ミラー、終生の友となる良き級友たちに巡り合う

 1917年 独立美術家協会第一回展に出品
       前衛的な画家の集団ペンギン・クラブに加わる
       リーグより授業料免除の奨学金を得る 

 1918年 ハミルトン・イースター・フィールドの招きで、メイン州オグンクイットで制作
       ブルックリンのアパートを与えられ、フィールドの援助を受けることになる
       ジュール・パスキンと出会う 

 1919年 リーグの学友キャサリン・シュミットと結婚
       生計のため商業写真家(美術作品の撮影)として働き始める 

 1920年 リーグを退学
       商業写真家として働きながら制作を続ける 

 1922年 ニューヨークのダニエル画廊と契約
       ウッドストックの出版社が国吉の画集を出版
       フィールド死去 

 1925年 キャサリンと二人で初めてヨーロッパに旅行
       滞在期間10ヶ月の大半をパリで過ごし、新たな方向を模索
       パスキンの助言でモデルを使った制作を試みる 

 1928年 制作上の行き詰まり打開のため、永住を決意して再びパリに渡る
       集中してリトグラフを制作
       ニューヨークに戻る
       パリで制作したリトグラフ24点をダニエル画廊で展示 

 1929年 ウッドストックに家を建て、以後、そこで夏を過ごす
       ニューヨーク近代美術館の「現存アメリカ19人展」に選ばれる

 1931年 病床の父を見舞うため、25年ぶりに帰国
       岡山、東京、大阪で個展を開くがあまり注目されず。軍国主義の台頭に驚く 

 1932年 横浜出港、帰米の途につく。船中で父の訃報を受ける
       キャサリンと離婚
       美術家団体アン・アメリカン・グループの設立に関わる
       ラジオ・シティ・ミュージック・ホール中二階婦人化粧室の壁画を完成。 

 1933年 ダニエル画廊閉鎖に伴い、新たに契約を結んだダウンタウン画廊で個展開催
       母校リーグで教職に就く
       画廊との契約もリーグでの仕事も生涯続く
       母死亡、ただ一人の肉親を失い日本との絆は切れる

 1934年 数多くの展覧会に出品
       「第129回年次展」でテンプル・ゴールド・メダル受賞
       (ペンシルヴァニア・アカデミー・オブ・ザ・ファインアーツ)
       ロサンゼルス・カウンティ美術館展で二等賞受賞

 1935年 サラ・マゾと再婚
       グッゲンハイム奨学金を得る
       サラを伴いアメリカ南西部とメキシコをスケッチ旅行 

 1936年 ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチで教え始める
       左翼系の美術家団体アメリカ美術家会議に参加するが、まもなく退会 

 1937年 ウッドストックのアトリエに暗室を設け写真に熱中する 

 1939年 アン・アメリカン・グループの会長に選出(-44)
       ボルチモア美術館の「6人の現存アメリカ作家展」に選ばれる
       ピッツバーグのカーネギー「第37回国際絵画展」で二等賞受賞 

 1940年 自伝的随筆「東から西へ」を「マガジン・オブ・アーツ」誌に寄稿
       アメリカ北東部ニューイングランド地方をスケッチ旅行 

 1941年 アメリカ中西部をスケッチ旅行
       日米開戦により、国吉の法的身分は外国人居住者から敵性外国人となる 

 1942年 アメリカ合衆国戦時情報局の要請により、日本人向け短波放送の演説原稿を書く
       ダウンタウン画廊で回顧展を開き、入場料を中国救済基金へ寄付する 

 1944年 ペンシルヴァニアアカデミー「第139回年次展」でヘンリー・シャイト記念賞受賞
       カーネギー「アメリカ合衆国絵画展」で一等賞受賞 

 1945年 「第56回アメリカ絵画年次展」でノーマン・ウェイト・ハリス青銅牌受賞 
       (アート・インスティテュート・オブ・シカゴ)

 1947年 美術家組合の初代会長に選出され(-51) 

 1948年 「ルック」誌が現代アメリカの10人の画家に選出
       ホイットニー美術館が現存画家としては初めての回顧展を開催
       シンシナティ美術館「アンアメリカンショー」に6人の米人画家の一人として出展
 

 1952年 カルダー、ホッパーと共にヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ代表作家に選出
       毎日新聞社主催「第一回日本国際美術展」のアメリカ部門の作品を選考
       戦後はじめてアメリカ現代美術を日本に紹介 

 1953年 5月14日胃癌のためニューヨークで逝去 享年63歳
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