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マンレイ
Man Ray(1890-1976)

 1980年  ペンシルベニア州、フィラデルフィアに、ユダヤ系ウクライナ人の父、
        ユダヤ系ベラルーシ人の母のもとに生まれる

 1987年  一家はニューヨーク市のブルックリン地区に引っ越す

 1904年  高校に入学し、製図を学ぶ。卒業後は出版社で図案を作ることで生活を
        立てながら画廊に出入りするなどして画家として活動する

 1915年  フランスの詩人であるアドン・ラクロアと結婚し、この頃から本名のエマ
        ニュエル・ラドニツキーではなく(本名のEmmanuel Radnitzkyを縮めた)
        マン・レイと名乗るようになる
        自作の絵を写すため写真機を購入
        マルセル・デュシャンと出会い
        絵画とドローイングによる最初の個展を開催

 1921年  エコール・ド・パリの時代であったパリに渡り、モンパルナスに住みなが
        ら本格的に写真に傾倒する
        パリに戻っていた親友のデュシャンの紹介によって、パリのダダイスト達
        と交友を始める
        フランスの歌手・モデルであるキキに出会い恋に落ちる
        職業的な写真家として成功をおさめ、ファッション雑誌などに写真が掲載
        されるようになる
        彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと交友し、ブランクーシに写真の
        技術の手ほどきをする
        シュルレアリスム運動が起こると、シュリレアリスト達とも交わり、シュ
        ルレアリスム的作品も手がけることとなる
        ソラリゼーションを表現技法として最初に利用したことでも有名。
 
 1935年  第1回シュルレアリスム展にマックス・エルンスト、パウル・クレー、アン
        ドレ・マッソン、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソらと共に参加
        シュルレアリスム的作品を手がける一方で、当時のアーティスト達の姿も写
        真に収めている

 1929年  キキと別れる

 1940年  戦火を避けてアメリカに移り、ロサンゼルスで暮らす
        この頃、ハリウッドスターなどの写真を撮るが、パリほどの名声は得られず

 1946年  マックス・エルンストとドロテア・タニング、マン・レイとジュリエット・
        ブラウナーが合同で結婚

 1951年  パリでの活動を再開

 1969年  ボックスアートの「ペシャージュ」を作成
 
 1976年  パリで生涯を終える
        墓はモンパルナス墓地にあり、ジュリエットと共に眠るマン・レイの墓碑には
       「Unconcerned, but not indifferent」と「Together Again」の文字が刻まれている

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