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アンドレ マッソン(1896-1987)
Andre Masson


 1896年  1月4日フランスのオワーズ県南部にある Balagny-sur-Therain に生まれる
        ベルギーに移り住む
        パリとブリュセルで美術の教育を受ける。

 1915年  徴兵で第一次世界大戦で兵士として参加する

 1917年  シュマン=デ=ダムで重傷を負う

 1918年  終戦でパリ戻る

 1920年  パリのブロメ通りの「アンチ=セナークル」と称されたアトリエに居を構える

        アルトー、バタイユ、ジュアンドー、レリス、ミロらがこのアトリエに集まる。
        そしてここで情熱的に、芸術について、文学について、哲学について、論議がなされる

        マッソンの作品「四元素」を購入したアンドレブルトンが訪れ、シュールレアリスムに
        加入するように求められる

 1924年  熱狂的にオートマティスムに賛同する。

 1926年  「砂絵画」の技法を完成する

 1920年代の終わりごろにはシュルレアリスム運動を離れ、より画面構成を重視するスタイルをとり始める
        作品のテーマにも暴力的なものやエロティックなものが取り入れられた
        また、スペイン内戦に触発された作品も多く残している

 1940年代に第二次世界大戦が本格化すると、ナチス・ドイツの影響下にあったヴィシー政権のもとで、
        マッソンの作品は退廃芸術と見なされ、非難の対象となった
       マルセイユのヴァリアン・フライの援助により、マッソンはマルティニークからアメリカに渡り            ナチスの迫害から逃れることが出来た
       しかし渡航先のニューヨークでは、マッソンが持ち込んだ自身のエロティックな絵画が税関当局に
       よって発見された
       それらはポルノグラフィと見なされたため、当局によって作者の前で引き裂かれた

       マッソンはコネチカット州のニュープレストンに住み、そこでジャクソン・ポロックなどの
       抽象表現主義の作品に触れた

 1947年 フランスに戻り南仏エクス=アン=プロヴァンスに移住
       そこで風景画などを多く残した

 1987年 10月28日パリで死去
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