恩地孝四郎(1911-1960)

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日本における抽象表現の先駆として高く評価されている恩地孝四郎で


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恩地孝四郎「抒情−私は信じる」

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作家名恩地孝四郎
1932
技法木 版 画
絵のサイズ縦19.8X横12.2cm
絵の状態ほぼ良好
限定500部
額サイズ縦40.4X横31.7cm
額の状態若干傷有
サインサイン無
額の仕様木地額縁
マット白紙マット
格安卸価格売却済

形象社レゾネNo150
版芸術1932年4月創刊号に挿入
差し込み箱でなく合わせ箱になります
売却済

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恩地孝四郎

1891年 東京府南豊島郡淀橋 町元柏木村に生まれる
      (現・新宿北新宿)
      父は元和歌山藩士で、当時東京地方裁判所
      検事であった

1904年 父の希望で医者になるべく独逸協会中学校
      へ入学

1909年 第一高等学校受験に失敗、赤坂溜池の白馬
      会葵橋洋画研究所に通う

1910年 近くに住む竹久夢二をしばしば訪ね強い影
      響を受ける
      東京美術 学校西洋画科予備科に入学

1911年 東京美術学校彫刻科彫塑部予備科へ転科
      数カ月後には退学する
      洛陽堂より竹久夢二らと『都会スケッチ』
      を出版
      洛陽堂主人の勧めで初めて装幀を手掛ける

1912年 東京美術学校西洋画科予備科に再入学する
      この頃より 抽象的作風の作品を制作する

1913年 竹久夢二画文集『どんたく』の装幀をする
      田中恭吉、藤森静雄とともに木版画の制作を
      始める

1914年 田中、藤森と詩と版画の同人誌「月映」(つくは
      え)を自摺私輯6册を刊行する
      田中、藤森と洛陽堂を 版元として「月映」I,
      II,IIIを刊行(自刻・機械刷)
      日本橋にあった竹久夢二経営の港屋で「月映
      小品展」を開催
      北原白秋、室生犀星、萩原朔太 郎らと交友が
      始まる

1915年 『月映』第4、5、6輯を刊行港屋で展覧する
      (自刻・機械刷、洛陽堂)
      東京美術学校西洋画科を中退
      10月23日田中恭吉が死去、「月映VI」告別号を
      もって廃刊する

1916年 小林のぶと結婚
      室生犀星・萩原朔太郎の同人誌「感情」が創刊
      され、装幀を担当
      第2号から版画や詩を発表する(1919年、32号で
      終刊)

1917年 長女・三保子誕生
      萩原朔太郎詩集『月に吠える』が感情詩社から
      刊行され、装幀・挿画を担当
      処女版画 集『幸福』を出版

1918年 「感情」第20号に[恩地孝四郎抒情画集]が特集さ
      れる
      山本 鼎、戸張孤雁、織田一磨らの発起した日本創
      作版画協会の結成に参加
      室生犀星詩集『愛の詩集』(感情詩社)の装幀・
      挿画を担当する 

1919年 第1回日本創作版画協会展(日本橋・三越)に出品
      以後毎回出品(〜1929年)
      第6回二科展に入選

1920年 長男邦郎が誕生。台湾旅行
      神田・兜屋画堂にて個展を開催(油彩、素描を
      中心に60点を展示)

1921年 総合芸術誌「内在」を大槻憲二、藤森静雄と創刊
      次男昌郎が誕生

1922年 『詩と版画』(アルス社)の編集に協力するが、
      1号のみで休刊となる

1923年 萬鉄五郎の円鳥会の結成に参加
      「詩と版画」が再刊され、編集及び執筆をする

1924年 二女暁子が誕生
      横浜・鶴見花月園に少女歌劇部主任として約1年
      間勤務
      自作脚本の演出、舞台装置、作曲などを担当する

1925年 この頃よりアルス社などの装幀の仕事を多く手掛
      ける

1927年 詩と版画誌「港」(沢田伊四郎編集刊行)第3号より同
      人とし て参加、編集に協力
      「港」を改題し、「風」を創刊、版画や詩文を発表する
      第8回帝展に木版画「幼女浴後」が入選
      以後第10回まで連続入選

1928年 川上澄生,前川千帆,藤森静雄,深沢索一,諏訪兼紀,
      平塚 運一,逸見享とで卓上社結成
      第1回展を日本橋・丸善で開催する
      『近代劇全集』(第一書房)、『白秋全集』(アルス社)
      等で装幀家としての地位を確立『風』が休刊となる

1929年 中島重太郎主宰の創作版画倶楽部より「新東京百景
      創作版画」の頒布が始まり、卓上社同人が分担して
      版画を制作する (〜1932年)
      『風』が再刊され編集、執筆、作品発表、再刊第1号は
      <恩地孝四郎作品小品>
      創作版画倶楽部より「版画CLUB」が創刊され同人となる

1930年 第11回帝展に「双貌」が落選、以後出品せず

1931年 日本創作版画協会、洋風版画協会、及び無所属作家らが
      大同団結をはかり、日本版画協会が設立され、常任委
      員となる(会長は 岡田三郎助、会員42名)
      第一回展が日本橋・三越で開催され出品する
      以後、同会の活動に生涯尽力する

1934年 パリにて日本版画協会主催による 「日本現代版画展」
      が開催(装飾美術館)(「化粧」など7 点を出品)
      詩画集「海の童話」、詩・写真・版画による創作集「飛行官
      能」を出版(版画荘)

1935年 志茂太郎と愛書誌『書窓』を編集刊行する
      (アオイ書房、1944年終刊)
      童 話歌劇小曲集「ゆめ」(新生堂)、版画詩文集「季節標」
      (アオイ書房)を出版
      「ポエム」連作が始まる

1936年 第11回国画会展に「廟門」等を出品、会員となる
      以後版画部会員として出品
      「竹久夢二遺作集」(アオイ書房)を有島生馬と共編

1937年 日本版画協会主催による「本現代版画展」がアメリカ・
      ヨーロッパ各地を巡回
 

1938年 日本版画協会より「新日本百景版画」の頒布が始まる
      (「台北東門」「雲仙一景」制作)

1939年 若い版画家のための研究会「一木会」を自宅にて毎月
      第一木曜日に開く
      戦後まで続けられ、多くの才能を育てた

1942年 随筆・写真集「博物志」(玄光社)、随筆集「工房雑記」
      (興風館)を出版 

1943年 詩と版画集『蟲・魚・介』を出版
      (アオイ書房十周年記念書窓版画帖 十連聚其八)
      日本版画奉公会が結成され、理事長となる
      随筆集『草・蟲・旅』(龍星閣)を出版

1946年 自作を含む詞華集「日本の花」を富岳本社より編集出版
      する
      この頃から進駐軍将校のアメリカ人コレクターらが恩
      地作品を積極的に買い始める

1947年 詞華集『人体頌』を富岳本社より編集出版する

1949年 博報堂に装幀相談所が開設され副所長になる
      後に所長となる
      第一回日本アンデパンダン展に出品
      (東京都美術館、読売新聞社主催)

1950年 自作を含む一木会豆版画帖『博物譜』を編集出版する
      (青園荘私家版)

1951年 第一回サンパウロビエンナーレに「リリックNo.11回想の中で」出品

1952年 第二回ルガノ国際版画展にリリック連作を出品
      第1 回日本国際美術展など内外の展覧会に出品が毎年続く
      『本の美術』(誠文堂新光社)を出版

1953年 第五回装幀美術展で『萩原朔太郎全詩集』が受賞
      (日本橋・三越)
      「恩地孝四郎装本三十年回顧展」が開催される
      長谷川三郎、山口 長男、吉原治良、瀧口修造、植村鷹千代ら
      と日本アブストラクト・アート・ク ラブを結成
      国際アートクラブ(本部ローマ)の日本本部の設立に岡本
      太郎らと尽力
      『日本の現代版画』(創元社)を出版
      国立近代美術館主催「抽象と幻想展」に出品

1954年 国立近代美術館「近代の肖像画展」に「萩原朔太郎像」な
      どを出品
      国画会秋季展(日本橋・三 越)に「自分の死貌」を出品
      長年出品を続けた日本版画協会、国画会への出品はこの年
      が最後となる

1955年 4月東大医学部附属病院に入院
      翌月退院し自宅療養を続けるが、6月3日病状急変し死去
      享年63歳
      6月中央公論社画廊にて「恩地孝四郎版画小品 展」
      9月ナビス画廊にて「恩地孝四郎遺作展」が開催
      (主催・アートクラブ)
      10月遺稿詩画集『日本の憂愁』が沢田伊四郎編集 により
      龍星閣より出版される
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