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ルフィーノ タマヨ

Rufino Tamayo(1899-1991)

オアハカ州オアハカ・デ・フアレスの、メキシコ先住
民サポテク系の家に生まれる。1911、メキシコシテ
ィの伯母のところで育つ。1917、国立造形芸術学校
(Escu ela Nacional de Artes Plasticas)に
入学する。
そこで、印象主義やキュービズムそしてフォービズ
ムの画法を学ぶ。

メキシコ革命の時、ルフィーノ・タマヨは、政治運動よ
り遠ざかり、自分の創作活動にいそしむ。そして、ディ
エゴ・リベラらと異なり、美術においてメキシコの伝統
を重んじる。メキシコシティでの個展を実現し、広い人
から注目された直後の1926、ニューヨークへ行く。
1929、メキシコに戻り、そこで新聞や雑誌から高い評
価を受ける。タマヨはミクソグラフィア(mixografia)
と呼ばれる形式の版画にも取り組む。1937〜49まで、
ニューヨークに暮らし、創作活動を展開して個展を開
き、アメリカにおいても知名度を上げる。1949にルフ
ィーノ・タマヨはパリに渡り、そこで10年間暮らす。
1959にメキシコに戻り、残りの人生を過ごすこととな
る。1979故郷オアハカで、「ルティーノ・タマヨ美術館」
(Museo Rufino Tamayo)が設立される。
1991年6月24日死亡する。

ルフィーノ タマヨ年譜

1899 8月26日オアハカ州オアハカ・デ・フアレスの
   メキシコ先住民サポテク系の家に生まれる

1911 メキシコシティの伯母のところで育つ

1917 国立造形芸術学校に入学する
   (Escuela Nacional de Artes Plasticas)
   そこで印象主義やキュービズムそしてフォービ
   ズムの画法を学ぶ

メキシコ革命の時、ルフィーノ・タマヨは、政治運動
より遠ざかり、自分の創作活動にいそしむそして、ディ
エゴ・リベラらと異なり、美術においてメキシコの伝統
を重んじるメキシコ・シティでの個展を実現し、広い
人から注目された

1926 ニューヨークへ行く

1929 メキシコに戻り、そこで新聞や雑誌から高い評
   価を受ける
   タマヨは、ミクソグラフィア(mixografia)と呼
   ばれる形式の版画にも取り組む

1937 ニューヨークに暮らし、創作活動を展開して個
   展を開き、アメリカにおいても知名度を上げる

1949 パリに渡り、そこで10年間暮らす

1959 メキシコに戻り残りの人生を過ごすこととなる

1979 故郷オアハカで、「ルティーノ・タマヨ美術館」が
   設立される(Museo Rufino Tamayo)

1991 6月24日死亡する

1993 NHKの番組「日曜美術館」で「ルフィーノ・タマヨ
   〜メキシコの魂を謳う〜」が放映される

2007 「三人の人物」(Tres Personajes)が104万9,000
   ドルで落札される

代表作
三人の人物 Tres Personajes
男と女 Man and Woamn (1972)
パイプを吸う人 Hombre con Pipa (1979)
棒を持つ人 Hombre con Baston (1980)
二人の兄弟 Dos Hermanos (1987)
赤い人物 Figura en Rojo (1989)

  日本の美術館所蔵作品
黒人の仮面 (1939:名古屋市美術館所蔵)
夜の踊り子たち (1948:名古屋市美術館所蔵)
苦悶する人 (1948:名古屋市美術館所蔵)
縞模様の人物 (1975:東京国立近代美術館)
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