ホーム > 日本洋画作家 > 鶴岡義雄 > 鶴岡義雄略歴

鶴岡義雄(1917-2007)

 1917年 4月13日、茨城県土浦市中城町に生まれる
       父は義太夫の名手、母は三味線の師匠、芝居小屋や映画館を経営してきた芸能一家に育つ

       旧制茨城県立土浦中学校(現、茨城県立土浦第一高等学校)在学時より絵画に興味を抱き
       同校の先輩にあたる熊岡美彦の講習会に参加したおり勧められて画家を志すようになる

 1937年 日本美術学校(現、日本美術専門学校)に進学、林武に師事して洋画を学ぶ
       ここで織田広喜、鷹山宇一ら後の二科会幹部らとも知り合う

 1941年 同校卒業、第28回二科展に「台湾蛮女」を出品し初入選

 1944年 関東軍報道班としてハルピンに赴任、帰国後まもなく土浦で終戦を迎える

 1946年 服部正一郎を中心に二科会茨城支部を結成、創立会員として参加し、以後二科には毎回出品

 1947年 第32回二科展に「化粧」ほか連作3点を出品し二科賞受賞

 1949年 服部正一郎らとともに創立会員として茨城洋画会を結成
       (54年の茨城美術家協会結成に伴い発展的解消)
       二科会準会員推挙

 1950年 二科会員に推挙
       戦時中は風景・人物の写実描写が多かったが、50年代半ばからシュルレアリスムや
       キュビスム風の描写、ジオメトリックな構成絵画などに次々取り組む

 1957年 北・中米、60年には西欧各国を訪れる
       粗目のタッチではあるが細かに計算された構図・配色によるモダンな風景画を多数制作

 1960年 山種美術館に鶴岡義雄「ベニス風景」が所蔵される

 1965年 第50回二科展、会員努力賞を受章する

 1966年 日本美術学校講師、69年サロン・ドートンヌ会員となる

 1970年 第55回二科展に「愛」「ムーラン・ルージュ」を出品して東郷青児賞受賞

 1971年 二科会委員となる

 1972年 カンヌ国際展に招待出品、総理公邸に買上される

 1973年 パリにアトリエを構えマドモアゼル・シリーズに取り組む

 1974年 第59回二科展に「ソワル・ド・パリ」を出品し内閣総理大臣賞を受賞
       この作品で同シリーズの耽美様式が確立され、この頃から舞妓も描くようになる

 1980年 二科会常務理事就任
       日動画廊主催、鶴岡義雄「舞妓展」を開催する

 1981年 インターナショナルアメリカ展グランプリ

 1986年 『鶴岡義雄画集』(日動出版)が刊行される

 1988年 日比谷シャンテにて「鶴岡義雄大作展」を開催する

 1989年 第74回二科展に「舞妓と見習いさん」を出して翌年日本芸術院賞を受賞

 1993年 日本美術学校名誉教授就任
       勲四等旭日小綬章受章

 1994年 日本芸術院会員に推挙

 1996年 日本美術学校名誉校長に就任

 2002年 二科会理事長に就任

 2006年 二科会名誉理事に就任

 2007年 旭日中綬章受章
       10月27日、直腸がんのため東京都目黒区の病院で死去した。享年90
鶴岡義雄画面に戻る