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ジャック ヴィヨン
Jacques Villon(1875-1963)

フランスの版画家、画家である。ジャック・ヴィヨンの名は
アルフォンス・ドーデの小説「ジャック」(Jack)と、15世紀フラ
ンスの詩人、フランソワ・ヴィヨンに因んで作られた名とされ
る。キュビスムを志向した美術家のグループ、「ピュトー・
グループ」の一人で、版画作品で知られる。
ウール県のDamvilleに生まれた。父親は裕福な公証人で、母
親は画家、ニコル(Emile Frederic Nicolle)の娘で、弟に、
美術家のレイモン・デュシャン=ヴィヨンやマルセル・デュ
シャン、妹にスザンヌ・デュシャン(Suzanne Duchamp)
らがいる。

法律を学んで、ルーアンでしばらく公証人として働いた後、
1894にパリに出た。
国立高等美術学校で学んだ。1894-1906の間、風刺漫画家と
して、「ジル・ブラス」、「シャ・ノアール」、「ラシエット・オ・ブ
ール」のようなパリの絵入り雑誌に寄稿した。ロートレック
と同じようにリトグラフでポスターも製作した。
1899-1909の間は版画家ウジェーヌ・ドラートル(Eu gene
Delatre)の工房で60点ほどのアクアチントの作品を制作
し、その後パリ郊外のピュトーに移り、キュビスムを志向
した美術家のグループ、「ピュトー・グループ」の一人と
して、多くの版画作品を制作した。1913にアメリカで開か
れた国際展覧会、アーモリーショーに参加した。

第一次世界大戦後はドライポイントやアクアチントなどの技
法の版画作品を製作した。

1950にアメリカのオークランドのカーネギー美術館の賞、カ
ーネギー賞(Carnegie Prize)を受賞した。1954年にレジオ
ンドヌール勲章(コマンドゥール)を受勲した

ジャック ヴィヨン年譜

1875 7月31日フランスのノルマンディー地方に生まれる
   本名はガストン・デュシャン
   弟にマルセル・デュシャン
   彫刻家レイモン・デュシャンがいる

1891 エッチング「父の肖像」を制作

1895 パリに出てコルモン教室に学ぶ

1911 ピユトーのアトリエがキューピスムの画家達の思索と
   創造のセンターとなる

1912 コクトーら仲間とともに「黄金率」(Section d'Or)とい
   うグループを立ち上げる

   フォーヴに影響された後、立体派を見出した

   パリ画壇では印象主義の色彩と立体派の構図との混血
   であると言われる

1950 米国カーネギー賞第一位受賞

1963 6月9日逝去

ジャック・ヴィヨンの銅版画は細かい線で形や陰を表現する
クロス・ハッチングと呼ばれる技法を使い、動的なイメージ
を紡いでいる。

ジャック・ジャックはキュビズムに触れる以前は、当時のパリ
の風俗や女性たちをカラー・ドライポイント(腐食させない線
刻銅版画)やカラー・エッチングなどで描いていた。
そしてアンリ・ルソーやデュフィ、ローランサンなどモダン
マスターの銅版画エスタンプの制作した
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