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ヒロヤマガタ

山形博導


1948 5月30日滋賀県米原市に材木屋の父のもと6人姉弟
   の3番目として産まれる。幼少の頃より画才を示す

1955 米原町立醒井小学校(現在の米原市立河南小学校)
   に入学

   放課後には毎日美術の特別授業を受け、遊び場でも
   あった近所の寺の住職より老子・道教・禅などの教
   えを授かる

1961 米原町立河南中学校(現在の米原市立河南中学校)
   に進学
   サイクリング好きが高じ、仲間と琵琶湖を周回する
   ようになる
   修学旅行では初めて東京に行き、都会の様子に衝撃
   を受け好奇心を刺激された。
   また、家業の手伝いで頻繁に入った山林では満天の
   星に魅了される
   アマチュア天体観測家の父に感化され、自作望遠鏡
   で宇宙観測に熱中するようになる。詩の世界にも傾
   倒する

1964 滋賀県立米原高等学校入学
   同校美術教師の日本画家椙村睦親(すぎむらまさちか)
   に師事すると同時に、椙村先生の本棚で画家アンリ・
   ルソーの画集に出会い大いに影響を受ける。公募で
   多数の受賞を果たす一方で、大阪のネオン屋へ足を
   運んだり、蛍光灯を使った作品を制作するなど、光
   に対する好奇心も加速

1967 高校卒業と同時に椙村睦親へ入門するが、同年単身
   で上京
   アルバイト先の画材屋で才能を見出され、広告会社
   でデザインやイラストの仕事に就く。仕事の合間に
   サイコロや米粒に自分の作品を描いてリフレッシュ
   していたと言う話は有名

1972 五海祐治、崔洋一、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に
   設立
   恋人を追いかけミラノへ渡るが実らず、その後パリへ
   渡り定住
   ルーヴル美術館に日参しながら、作品制作に没頭
   ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの世界
   に衝撃を受ける

1973 パリの画廊と契約
   ウィーンで初の個展を開催
   以後、ロサンゼルスへ移住するまでパリを拠点に様々
   なサロンへ出展すると同時に、ヨーロッパ各地で個展
   を開催
   この頃の作品は大半が水彩や油彩で、後に一世を風靡
   するリトグラフやシルクスクリーンなどの版画はほと
   んど制作されていない
   また、渡仏中の間章をはじめ、スティーヴ・レイシー
   などの音楽家、ブライオン・ガイシンなどの詩人らの
   仲間と共にジャズに熱中。オーガナイザーメンバーと
   して公演開催のため私財を投げ打ち奔走
   当時たまり場だったカフェでは詩人のアレン・ギンズ
   バーグやグレゴリー・コルソーとも出会う

1974 レーザーを使ったインスタレーションをパリ市内の劇
   場で初めて実施している

1978 ロサンゼルスのマーチンローレンス画廊と契約してロ
   サンゼルスに移住
   版画的技法のシルクスクリーンで、100色以上もの色を
   散りばめた鮮やかな多色作風により、一躍その名を馳
   せる
   以降、アメリカ各地で個展を開き、アートEXPOへも出
   展するようになる。
   彼の作品の多くは、シルクスクリーンによる鮮烈な色
   彩が非常に印象的である一方で、作品中の細部の人物
   の顔など間近で見ないとわからないところまで緻密に
   描写され、繊細である

1983 「エア・ショー」が、レーガン大統領が名誉会長であった
   人類飛行200周年記念財団の公式ポスターに選ばれる。
   後に「ヤマガタ・ブルー」と称される鮮やかな青色の世
   界を確立

1984 ロサンゼルス市観光誘致キャンペーン公式作品を制作
   ロードアイランド州が9月21日を「ヒロ・ヤマガタの日」
   に定め、同州のウォリック市より名誉市民の称号が贈
   られる
   東京で初の個展が開催される

1986 ロサンゼルス市名誉市民に選ばれる
   レーガン大統領の依頼で「自由の女神100周年記念」の
   ための公式作品を制作
   エドワード・ケネディ議員の呼びかけでケネディ財団
   主催のアートを通じた障害者支援チャリティープロジ
   ェクト「ベリー・スペシャル・アーツ」に参加
   東京、大阪、名古屋、横浜、福岡で巡回展を開催

1987 ヤマガタ財団設立
   ケネディ財団と共同で身体障害者のチャリティイベン
   トを開催
   「自選山形博導画集」が出版

1988 「オーストラリア建国記念」「エッフェル塔100周年」等
   の公式作品、レーガン大統領肖像画を制作
   ジャック・ニクラスと共同でゴルフシリーズ開始

1989 東京、静岡、名古屋、大阪で巡回展を開催
   エリザベス・テイラーとの友情を通じてアメリカン・フ
   ァンデーション・オブ・エイズ・リサーチへの寄付を
   開始
   サンフランシスコ地震被災者救済のために「ファイア
   ー・ワークス」の全売上を赤十字社へ寄付

1990 アーノルド・シュワルツェネッガーがテキストを書い
   た英語版画集「YAMAGATA」が出版される
   「アメリカ移民200周年」、ベルリンの「フリーダム・
   キャンペーン」公式作品を制作
   メキシコシティ国立美術館で個展開催

1991 「コロンブス新大陸発見500年記念」、世界陸上の公式
   作品を制作
   ニューヨーク映画記録保管所への経済支援を開始
   エイズ・チャリティー活動の一環としてエリザベス・
   テイラーと共に来日

1992 バルセロナ・オリンピックの公式作品を制作
   米国ウォルト・ディズニーアートクラシックインクと
   契約
   金閣寺をモチーフに、京都「遷都1200年祭」の公式作品
   を制作
   障害を持つ人々の芸術活動の振興を行う国際組織「ベ
   リー・スペシャル・アーツ」に600万ドルを寄付

1993 ジーン・ケネディ・スミスと共に「ベリー・スペシャル・
   アーツのインターナショナル・アート・フェステバルに
   参加(ブリュッセル)
   ジャック・ニクラスと共同でゴルフシ新シリーズの制
   作を発表
   エイズ・チャリティー・イベントのため来日

1994 アレン・ギンズバーグらとビート・ジェネレーション
   に関するドキュメンタリー映画制作の企画を開始
   美しい自然のイメージをメルセデス・ベンツのヴィン
   テージ・カーに描き出し「アースリーパラダイス」と
   してロサンゼルス市立美術館で発表
   なお、「アースリーパラダイス」は美術評論家サム・
   ハンターによる命名である
   また、同展のためにアレン・ギンズバーグが「ヒロ・
   ヤマガタの聖霊20世紀の自動車」と題する文章を寄稿
   (「アースリーパラダイス」の制作風景の模様を、映画
   監督ジョナス・メカス公式HPで見ることが出来る)
   「ヒロ・ヤマガタ全版画集」が出版

1995 米国オリンピック委員会の依頼でアトランタ・オリン
   ピック全種目の作品を制作。同年「アースリーパラダ
   イス」展を箱根、ヴェネツィア(アレン・ギンズバー
   グとの合同展)、モンテカルロ、モンテカティーニ、
   トリノにて開催

1996 「アースリーパラダイス」展をシカゴで開催
   カール16世グスタフ・スウェーデン国王に招かれ「アー
   スリーパラダイス」展をストックホルムで開催

1997 「アースリーパラダイス」展をカッセル(デニス・ホッパ
   ーとの合同展)、ウィーンにて開催
   「エタニティー・オア・ファット」展をロサンゼルスの
   フレッド・ホフマン・ファイン・アート・ギャラリーシカ
   ゴART1997で開催
   バクテリアやカビが増殖する過程を顕微鏡カメラで3
   か月撮影
   ミクロの世界で描き出される色鮮やかな自然の営みを
   巨大パネルにした作品
   また、大気中に拡散するガスの動きも同様に巨大な写
   真作品として展示された
   レーザー光線を用いたインスタレーション展「エレメ
   ントA」をフレッド・ホフマン・ファイン・アートギャラ
   リーで開催
   アカデミー賞授賞式にて「アースリーパラダイス」の
   イメージとレーザーインスタレーションのコラボレー
   ションを発表
   ホワイトハウスからの依頼で、アメリカ合衆国憲法制
   定200周年記念の作品「ウィ・ザ・ピープル」を制作
   同作品のシルクスクリーンは記念の豪華装丁本に納め
   られ、全世界のアメリカ合衆国大使館に配布された

1998 「アースリーパラダイス」展をローマで開催
   レーザーインスタレーション「スカルプター・オブ・
   ライト」展をLAファーストストリート橋にて開催
   自身が影響を受けた老子をテーマにしたNHKの番組取
   材で中国を初めて訪れ作品を描く
   日本の心をテーマにした「日本のエッセンス」の制作
   を開始
   作画を担当した80円切手「おもちゃのチャチャチャ」が
   郵政省より発行
   7月1日にニューヨーク・フォレストヒルズスタジアム
   で開催された日本のアーティストTHE ALFEE のコンサ
   ートの公式ポスターを製作

1999 「アメリカン・リップス」展をニューヨークのマルボロ
   ギャラリーで開催
   ビート・ジェネレーションに関する映画『ザ・ソース』
   (邦題『ビートニク』)のプロデュースが完成、ニュ
   ーヨークとロサンゼルスの美術館で公開
   同映画製作中の97年、アレン・ギンズバーグとウィリ
   アム・S・バロウズが次々に他界したため、一時期完成
   が危ぶまれた(映画監督ジョナス・メカスが撮影したギ
   ンズバーグのお通夜の映像に、ヒロヤマガタの姿も見
   ることができる)
   映画は彼らの生前のインタビューも含めたビートに関
   する様々なドキュメンタリー映像資料と、ジョン・タト
   ゥーロ(ギンズバーグ役)、デニス・ホッパー(バロウズ
   役)、ジョニー・デップ(ジャック・ケルアック役)
   らによる再現ドラマシーンとで構成されている
   チャック・ワークマン監督の起用はヤマガタ自身のラ
   ブコールで実現したもの
   レーザーインスタレーション「ローマイヤーライツ」
   をローマイヤー彫刻美術館(ミズーリ州セントルイス)
   にて開催
   米国ホワイトハウス設立200周年記念の公式作品制作
   テレビ朝日の番組取材でチベット(ピヤトンガ遺跡)
   を初めて訪れる
   「悠久のシルクロード」シリーズを制作開始
   東儀秀樹が音楽を担当したPlayStation用ソフト「YAMA
   GATA Digital Museum」が発売
2000 シンシナティ現代美術センター(英語版)で開催され
   たレーザーインスタレーショングループ展「アクティ
   ブ・ライフ」(オハイオ)に参加
   レーザーインスタレーション「太陽系インスタレーシ
   ョンプロジェクト1」をヤマガタスタジオ(マリブ)で
   開催
   グラミー財団よりグラミー賞2000年公式アーティスト
   に任命される

2001 レーザーインスタレーション「NGC6093」をニューヨー
   クのエースギャラリーで開催
   (映画監督ジョナス・メカスが撮影した「NGC6093」での
   ヒロヤマガタインタビュー映像を、ジョナス・メカス公
   式HPで見ることが出来る)
   レーザーインスタレーション「フォトン999」をフラン
   ク・ゲーリーがデザインしたグッゲンハイム美術館ビ
   ルバオ(スペイン)そのものをキャンバスにして開催

2002 レーザーインスタレーション「クウォンタン・インジ
   ェクション」をペパーダイン大学(マリブ)で開催

2003 レーザーインスタレーション「ART宇宙芸術展-ヒロヤ
   マガタとNASAの世界」を横浜国際客船ターミナル大桟
   橋ホールで開催
   この作品はホログラムを巡らした立方体型の巨大な2
   つの建造物の中でレーザーを大量に照射し、室内に吊
   るされた無数のキューブで反射させる屋内展示であっ
   た
   入場者は偏光眼鏡でそれを観覧しかしこの展示は、宣
   伝の不備から一般的なヤマガタの版画作品を想起させ
   てしまったため入場者数が伸び悩み、展示期間の最終
   日を待たずに終了
   レーザーインスタレーション「スーパーノヴァ3」展を
   COSIコロンバス科学博物館(オハイオ州)で開催
   「サンクトペテルブルク市政300周年記念イベント-音
   と光の夜」(ロシア)にレーザーインスタレーションで
   参加
   「ヒロ・ヤマガタ原画」展を沖縄で開催

2004 レーザーインスタレーション「クウォンタン・フィール
   ドX3」をグッゲンハイム美術館ビルバオ(スペイン)
   にて開催
   美術館に隣接する丘の上に設置した円盤型のオブジェ
   から放たれるレーザーが、屋外に設置された2つの立
   方体型建造物の外壁を照らし出す等、インスタレーシ
   ョンのスケールが横浜を基盤にさらに大きくなった

2005 アフガニスタンのバーミヤーン仏教遺跡にて、破壊さ
   れた大石仏像を復活させる試みとして、大掛かりなレ
   ーザー光線でそのイメージを取り戻すと言う過去最大
   規模のレーザーインスタレーション構想を発表
   太陽発電をベースに蓄えた電力で日没後インスタレー
   ションを実施し、余った電力は地元の農村の電化事業
   へ還元されると言う約60億円の予算で展開する
   ロサンゼルスのゲッフェン現代美術館で開催されたガ
   ラパーティーにてレーザーインスタレーションを発表
   レーザーインスタレーションとエレクトリカルミュー
   ジックを融合させた「メットリッピン」(東京)に参加し
   「セオリー・シックス」を発表
   「アース・ウォーター・ファイアー・エアー・フェス
   ティバル」(南アフリカ・ケープタウン)にレーザー
   インスタレーションで参加
   フランク・ゲーリーのドキュメンタリー映画スケッチ
   ・オブ・フランクゲーリーがトロント国際映画祭(カ
   ナダ)で公開
   同映画はカナダを皮切りに世界各地で上映。ヤマガタ
   はエグゼクティブプロデューサーとして参画した

2006 ペインティング作品「エアー」展をロサンゼルスのトー
   ランス・アート・ミュージアムで開催
   空間に鮮烈に描き出してきたレーザーインスタレーシ
   ョンのパターンが、巨大なスケールのキャンバスにペ
   インティングとして再構築されている
   インスタレーション「スカルプター・オブ・ライト」を
   BUSCHLEN MOWATT GALLERIES(パームデザート)
で開催

2007 ペインティング作品「トランシエント」展をロサンゼ
   ルスのゲーリー・パートナーズにて開催
   巨大キャンバスに貼られた皺交じりの和紙に描き出さ
   れた水墨の濃淡な世界
   近づき細部を凝視すれば鉛筆で書かれた細密画の世界
   が視覚に飛び込んでくる走馬灯を眺めているような感
   覚に迷い込む作品

ヒロヤマガタは世界で活躍している日本人現代アーティスト
です。
1972に渡欧。水彩や油彩作品の制作を始めます。1978にはア
メリカへ移住し、シルクスクリーン作品の制作をはじめます。
その後はアメリカ各地での個展、アートEXPOへの出品を
つづけ、活躍の場を広げました。
オリンピック公式ポスターのための原画や、自由の女神100周
年記念の原画制作など、世界的なイベントの公式作品等を数
多く制作し、アメリカでの人気はもちろん、ヨーロッパ、そし
て日本での人気を不動のものとしました。現在も、アメリカ
に居を構え、アーティスト活動を続けています

ヒロヤマガタの作品の多くは、版画ひとつで、インクの乗りや
発色がよく、色と色との境界線をくっきりと表現できるシル
クスクリーンです。
作品には100色もの色を使っており、発色は鮮やかで美しく、
雰囲気のある色合いで細かな部分まで細密に表現されていま
す。

ヒロヤマガタ作品でまず目を引くのは、広い空や、建物、気球
や飛行船といった、ダイナミックに描かれたモチーフですが、
その中に描かれる、人々の姿は、楽しそうに会話をしていたり
、どこかへ向かって走っていたり、それぞれにストーリーが
隠され、その物語を楽しめるのも魅力です。

元々質の高さに定評があったヒロヤマガタですが、有名人や
有名ブランドとのコラボレーションを通し、更に認知度を高
めました。コラボ作品として有名なのは以下の3作品が有名
です。
ゴルフ場を舞台にした作品:レジェンド「ジャック・ニクラス」
とのコラボ
車を題材にした作品:アースリーパラダイスシリーズ
ディズニーランドを描いた作品:有名なキャラクターも描か
れています
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