本名: 飯島孝雄(いいじま たかお)1960代のフルクサスに、 同運動の国際的な活動の初期から関わった。「虹のアーテ ィスト」として知られている。多摩美術大学美術学部客員 教授として教えていた。茨城県行方郡玉造町(現行方市)出 身。 1961オノヨーコがジョージ・マチューナスに紹介し、1963 にフルクサスに加わった。「Finger Boxe」という一連の作品 とフルクサス時代の「イヴェント」で有名になった。 ジョージ・マチューナス、エメット・ウィリアムス(Emmett Williams)、ディック・ヒギンズ(en:Dick Higgins)、ナム ・ジュン・パイクと親密なかかわりのなかで仕事をした。 フルクサス以前、瑛九が創設した「デモクラート美術家協会」 で、キャリアをスタートさせた。同協会は、芸術的自由と独 立を美術制作の世界に推進した。このことの靉嘔への影響 は、large Xを描いた彼の初期の一連の作品に見出される。 なぜなら彼自身がまだまだオリジナルじゃないものだと考 えている作品だからだ。 日本には、「デモクラート美術家協会」に近い別の独立的運 動が存在した。蒐集家・久保貞次郎の「創造美育」(Biiku)が それだが、美術教育における自由の育成を推進した。「創造 美育」のアプローチは、ナチュラルに「素朴派」の形式を 推進し、久保は、社会における美術蒐集を広げるために「小 コレクターの会」(Small Collector Society)を推進してい る。この両運動が福井県と靉嘔を特異に結びつけた。 靉謳年譜 1931 茨城県に生まれる 1953 東京都美術館にて第5回日本アンダパンダン展 丸善画廊にてデモクラート美術展 (以後第6回まで連続出品) 1954 東京教育大学芸術科を卒業 1957 第1回東京国際版画ビエンナーレ展 1963 東京美術館にて第7回日本国際美術展 第1回ニューヨーク・アヴァンギャルド・フェステ ィバル(以後第2〜11、13、16回に参加) 1964 フルクサス・フェステバル 1966 東京都美術館にて近代日本美術展 (以後8〜10、15回に出品) 第33回ベネチア・ビエンナーレ展日本代表になる 1969 東京国立近代美術館で第4回ジャパン・アート・ フェスティバル大賞を受賞 1971 第11回サンパウロ・ビエンナーレ、ブラジル美術館 賞を受賞(サンパウロ) 第6回ジャパン・アート・フェスティバルで外務大 臣賞を受賞 1972 第3回リエカ国素描展 第4回クラコウ版画ビエンナーレ、ウッジ美術館賞 (ポーランド) 1975 第11回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ 買上賞(スベロニア) 1979 静岡、池田20世紀美術館で『靉謳の世界』を開催 1985 北京にて中華民国第2回国際版画展、銅牌賞 1986 ソウル国際版画展、優秀賞受賞 1990 第22回日本芸術大賞 1992 『靉謳のオブジェと版画展』(福岡市美術館) 1994 『戦後日本の前衛美術』(横浜美術館) 1995 『戦後文化の軌跡』、東京都目黒区、広島、兵庫 などを巡回 1996 『素材とかたち−感触との対話』 (茨城県近代美術館) 1998 『靉謳作品展』(宮城県立美術館) 2000 『オーバー・ザ・レインボー 虹・虹 靉謳展』 (茨城県近代美術館) 2013 『靉謳 ふたたび虹のかなたに展』 (東京都現代美術館) 現在は東京・茨城・ニューヨークに在住 |