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マルク シャガール
Marc Chagall(1887-1985)

1887 7月7日ポーランドとの国境に近い旧ロシア(現ベラ
   ルーシ共和国)の町ヴィテブスクで敬虔なユダヤ人
   の両親のもと、9人兄弟の長男として生まれる

1907 サンクト・ペテルブルクの美術学校に入学
   成績優秀により、奨学金を得る

1909 後に妻となるベラ・ローゼンフェルトと出会う

1910 パリに出る
   パリでアカデミー・ジュリアンに通う
   アンデパンダ展に出品

1911 集合アトリエ−ラ・リュッシュ(蜂の巣)に移り住み同時
   代の画家であるモディリアーニ、スーチンらと親交
   を結ぶ
   シャガールの初期の作品の多くがこのアトリエで制
   作されることになる

1914 ベルリンのシュトルム画廊で初個展開催、反響を呼ぶ
   一次帰国のつもりでヴィテブスクに帰郷するが大戦
   の勃発で留まることに

1915 ベラ・ローゼンフェルトと結婚

1916 娘イダが生まれる
   この頃より、家族の情景を描いた作品を描く

1919 ヴィテブスク美術アカデミーで教鞭をとり革命に協
   力するが、幾何学的な抽象絵画を提唱した
   同校教授のマレーヴィッチ(1878ー1935)等と意見が
   対立し、校長を辞任

1920 舞台美術を手掛けるようになる

1922 ソビエト政府の革命政策に失望しロシアを去りベル
   リンを経て、一家でパリに移る
   最初の銅版画「わが生涯」を制作

1923 ゴーゴリーの「死せる魂」
   ラ・フォンテーヌの「萬話」の銅版画を制作

1924 ノルマンディー地方ブルターニュ地方のブレア島な
   どを訪れ、風景画を多く描く

1926 アメリカのニューヨークで初めての個展が開催

1931 ヴォラールの依頼で壮大主題「バイブル」に取り組
   むためパレスチナへ旅行
   回顧録『わが回想』を出版

1933 バーゼルの美術館で大規模な回顧展が開かれ、画家
   としての地位を確かなものとする
   ドイツでナチスの勢力が拡大し、シャガールの一部
   の作品が退廃芸術として焼却される

1937 ドイツの美術館に所蔵されるシャガールの作品全て
   が、ナチスにより撤去される
   フランス国籍を得る

1939 カーネギー賞受賞

1941 ナチス政権の迫害から逃れるために渡米
   フランス国籍を剥奪される

1942 ニューヨークでバレエ「アレコ」の舞台美術を手掛ける
   メキシコを訪ねる

1944 最愛の妻ベラが亡くなる、悲嘆のため数ヶ月の間
   シャガールは筆を絶つ

1945 シカゴ・アートインティテュートで回顧展開催

1946 ニューヨーク近代美術館において大回顧展開催

1947 パリの国立近代美術館で回顧展が開かる
   戦後初めてパリを訪れる

1948 カラー石版画「アラビアンナイト」を発表
   第24回ヴェネチア・ビエンナーレで、版画部門の
   グランプリ受賞
   アメリカを去り、パリに戻る

1950 南フランスのサンポール・ドヴァンスに居を構え
   る近くに住んでいたピカソ、マティスとしばしば
   交流する

1952 ヴァンディーナ・ブロッキー(ヴァヴァ)と知り
   合い、結婚する
   ラ・フォンテーヌの『寓話』が刊行される

1954 ギリシャへ旅行
   色彩リトグラフ集「ダフニスとクロエ」制作

1956 色彩リトグラフ集「サーカス」制作
   銅版画「バイブル」を発表

1960 エラスムス賞受賞
   フランス文科大臣アンドレマルローはパリのオペ
   ラ座の天井画を依頼

1963 東京・国立西洋美術館と京都市美術館で回顧展が
   開かれる

1964 パリのオペラ座の天井画を完成させる

1967 生誕80周年記念でチューリッヒ、ケルンで大回
   顧展を開催

1973 シャガールのための国立美術館「聖書のメッセー
   ジ美術館」開館
   フランスにおける現存する作家のための初めての
   国立美術館

1976 東京国立近代美術館で個展開催

1977 フランス政府からレジョンドヌール最高勲章を受ける
   ルーヴル美術館で大統領の出席を得てシャガール展が
   開催される

1985 3月28日サンポールドヴァンスの自宅で死去
   享年 97歳
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