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リュシアン クートー

Lucien Coutaud(1904 -1977)


ガール県メーヌ(フランス)生まれ。
ニームの美術学校、パリの美術工芸学校に学び、1926年
アトリエ座の舞台装置と衣装を担当し、作品を発表しは
じめる。
その後イタリアに遊学。帰国後1941年からサロン・ドー
トンヌ、サロン・デ・チュイルリーに出品。
1945年サロン・ド・メの創立に参画し、以来常任委員を
つとめた。
1964年パリ美術学校版画科主任教授となる。
シュルレリスム風の作風で、とげのはえたような独特の
形象の人体が現代の荒野を歩む主題を多く描き、油彩や
版画のほか、挿絵、壁画、タピストリー、建築装飾など
でも活躍。

リュシアン クートー年譜

1904 12月13日南フランス・メーヌに生まれる。

1920 ニームの美術学校に入学

1924 パリに出て国立装飾美術学校に学ぶ
   また各所のアカデミーに通い絵画を学ぶ

1926 ジャンコクトーと出会い、ランボーやロートレアモン
   を愛読し、その影響でシュールレアリズムに傾倒する

1933 キュットリ夫人とタピスリーを始める

      1942 サロン・ドートンヌやチュイルリーに出品

1945 サロン・ド・メ会員となる

1967 パリ美術大賞受賞

1977 6月21日パリにて死去 享年72歳

フランス南部の古都ニームに近いメーヌ村に生まれる。
ニームの美術学校で学び、1924年パリに出てからはモンパル
ナスの自由美術研究所などに通う。
この頃、デ・キリコやエルンストらシュルレアリスムの作品
に接し強い影響を受ける。
1940年サロン・ドートンヌに初出品。荒涼とした風景に刺々
しい人物像を配した幻想的な様式を確立した。
1943年対独レジスタンス運動の一環として組織された展覧会
サロン・ド・メの創設に参加、中心メンバーの一人となる。
日本では、1951年毎日新聞社主催の「現代フランス美術展」
で初めてその作品が紹介され、1953年には神奈川県立近代美
術館で「クートー個展」が開催されるなど話題を呼んだ。
油絵や銅版画のほか、舞台装置や衣裳、タペストリーの下絵な
ども多く手がけた。

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