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マックスエルンスト

Max Ernst(1891-1976)

1891 マクシミリアン・エルンスト(マックス)は、ブリュール
   で聾唖学校の教師かつアマチュアの画家フィリップ・
   エルンストを父とし、ルイーゼを母として生まれる。
   父フィリップは厳格なクリスチャンであり、マックス
   を敬虔な信徒として教育するとともに、彼を絵画のモ
   デルとして使っている(「幼児キリストとしてのマック
   ス・エルンストの肖像」など)

1909〜12、ボン大学において、哲学、心理学、美術史を学ぶ。
   フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に触れ、画家を
   志す

1912 アウグストマッケの「ライン地方表現主義者グループ」
   に参加。ギヨーム・アポリネールとロベール・ドローネ
   ーとの交流をもち、「青騎士」グループとも接触

1913 ジャン・アルプに会う

1914 第一次世界大戦勃発。砲兵隊員として軍務につく

1916 ダダイストたちとの最初の展覧会

1917 「デア・シュトゥルム」誌が論文「色彩の発達」を掲載

1918 美術館副管理長のルイーゼ・シュトラウスと結婚

1919 パウル・クレーに会う
   ジョルジョ・デ・キリコに捧げたコラージュ・アルバム「
   流行は栄えよ、芸術は滅ぶとも」出版

1920 ポルノグラフィー制作の容疑で起訴され、父からの呪
   詛とアンドレ・ブルトンらパリのダダイストよりの共
   感を受け、展覧会開催を勧められる
   息子ウルリッヒ(ジミー・エルンスト)誕生

1921 ポール・エリュアールに会い「永遠の」友情を結ぶ
   「セレベスの象」制作

1922 エリュアール夫妻をパリに訪ね、ともに「神々の不幸」
   「反復」を出版
   ルイーゼとの離婚を済ませぬ前に、ガラ・エリュアール
   夫人と友情を越えた関係を持つが、夫のポールは黙認
   するどころか集団恋愛に耽る

1923 アンデパンダン展に作品を出品

1924 絵画「美しき女庭師」でキュビストとして賞賛を得るが
   ナチスに作品を持ち去られ、「退廃芸術展」にて晒し
   ものにされる
   サイゴンに旅行し、失踪しようとしたエリュアールを
   説得
   ブルトンの「シュルレアリスム宣言」に共感し、シュル
   レアリスム・グループに合流する
   「ナイチンゲールに脅かされる二人の子供」制作
1925 フロッタージュの手法に目覚める
   シュルレアリスム・グループ展に参加

1926 「博物誌」出版
   パリで初の大規模な作品展を開催
   ジョアン・ミロとともにセルゲイ・ディアギレフのバレ
   エのための衣装、装置を制作

1927 映画脚本家ジャン・オーランシュの妹マリー=ベルト
   ・オーランシュ結婚

1929 「頭女」を出版
   ルイス・ブニュエルの依頼で、彼とサルバドール・ダリ
   の映画「金時代」の簡単な役を引き受ける

1930 「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」出版

1931 アメリカで初の作品展を開催

1934 アルベルト・ジャコメッティとスイスで過ごし、彫刻作
   品を手がける
   「慈善週間」を出版

1935 「ニンフ・エコー」、「都市の全景(完全都市)」制作

1936 レオノール・フィニと親密になり、2年ほど交際する
   マリーと別離

1937 「カイエ・ダール」誌に評論「絵画の彼岸」が掲載される
   アルフレッド・ジャリの戯曲「鎖につながれたユビュ」
   の装置制作
   イングランドの画家レオノーラ・キャリントンに出会
   い、パリで共に暮らす

1938 ブルトンによるシュルレアリスム・グループからのエ
   リュアールの追放の呼びかけに反対し、グループを離
   れる
   キャリントンと南仏のサン・マルタン・ダルデシュに移
   住し、彼女の小説「恐怖の館」「卵型の貴婦人」の挿絵を
   手がける

1939 第二次世界大戦勃発とともに、敵性外国人として逮捕
   され、エクス・アン・プロヴァンスのレ・ミル収容所に
   収監されるが、エリュアールの助力により保釈

1940 今度はゲシュタポに逮捕されて再びレ・ミルに収容さ
   れる
   「レ・ミルのモンマルトル」と呼ばれたこの収容所には
   芸術家が多く、ハンス・ベルメールとは同室
   この事件後、キャリントンはスペインに逃れるが、衝撃
   によって精神を病み入院
   回復後、メキシコ人外交官と結婚して米国に亡命する

1941 エレノア・ルーズベルトの支援によって結成された緊
   急救助委員会 (ERC) によりマルセイユに派遣された
   米国のジャーナリスト、ヴァリアン・フライらの尽力
   により、スペイン経由でニューヨークへ脱出
   経済的に支援した美術品収集家ペギー・グッゲンハイ
   ムと結婚するが、間もなく離婚
   マックスの心中には未だキャリントンの存在があった
   この年ブルトンと和解、亡命シュルレアリスト・グル
   ープに加盟

1942 「雨後のヨーロッパII」制作
   ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズで作品展
   オシログラフ(振動描画)を経てアクション・ペイン
   ティングに目覚める
   シカゴにいた音楽家ジョン・ケージと接触をもち、ニュ
   ーヨークの自宅に招く

1943 ドロテア・タニングと出会ってすぐ親密になる

1946 タニングと結婚
   アリゾナに移住する
   「ユークリッド」、彫刻「山羊座」制作
   ハンス・リヒター監督の映画「金で買える夢」脚本協力

1948 アメリカ国籍を得る

1 949 パリへ戻り、旧友たちとの生活を取り戻す

1950 パリで回顧展

1954 ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞

1955 ビエンナーレ大賞受賞を非難してシュルレアリスム
   か   らの彼の追放を宣言したブルトンと絶縁
   「大アルベルトゥス」制作

1956 ベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられる

1958 フランスの市民権を得る

1959 パリで大回顧展

1964 「マクシミリアナ」を出版

1968 オリヴィエ・メシアンのバレエ「ラ・テュランガリラ」の
   装置を手がける
   「美しき女庭師の帰還」制作

1972 ジョルジュ・リブモン・デセーニュの「兵士のバラード」
   の挿絵制作

1975年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展

1976年、満85歳の誕生日より一日前に、パリにて死去

2005年、故郷ブリュールにマックス・エルンスト美術館開館

代表作
セレベスの象(1921)(ロンドン、テート・ギャラリー)
ユビュ王(1923)(ポンピドゥー・センター)
ナイチンゲールに脅かされるふたりの子供(1924)
(ニューヨーク近代美術館)
美しき女庭師(1924)(現在消失)
博物誌(1926)
百頭女(1929)
ロプロプがロプロプを指し示す(1930)
(ヒューストン、メニル・コレクション)
都市の全景(1935)(チューリヒ美術館)
花嫁衣装(1940)(グッゲンハイム美術館)
ユークリッド(1943)(ヒューストン、メニル・コレクション)
沈黙の目(1944)(ワシントン大学)
大アルベルトゥス(1957)
(ヒューストン、メニル・コレクション)
美しき女庭師の帰還(1967)
(ヒューストン、メニル・コレクション)

日本所蔵の作品
白鳥はとてもおだやか…(1920)(横浜美術館)
森と太陽(1927)(富山県立近代美術館)
石化した森(1927)(国立西洋美術館)
海と太陽(1933)(筑波大学)
ニンフ・エコー(1936)(新潟市美術館)
ポーランドの騎士(1954)(愛知県美術館)
暗黒の神々(1955)(諸橋近代美術館)
夢創りの達人(1959)(笠間日動美術館)
青い背景の旭日(1962)(東京富士美術館)

書籍
ロマン・コラージュ(コラージュ小説)
『百頭女』(La Femme 100 tetes) 巌谷国士訳
河出書房新社(河出文庫)1996年
「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」
(Reve d'une petite fille qui voulut entrer au Carmel)
巌谷国士訳、河出書房新社(河出文庫)1996
『慈善週間または七大元素』(Une semaine de bonte)
巌谷国士訳、河出書房新社(河出文庫)1997
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