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アイベンアール(1916-2000)
Eyvind Earle

1916 4月26日、ニューヨークに生まれる

1918 カリフォルニア州、ハリウッドに移る

1929 フランス、アスケインにて初めての展覧会開催

1938 チャールズ・モルガン・ギャラリーで初個展開催(NY)

1940 メトロポリタン美術館が水彩画を一点永久保存作品と
   して購入

1951 ウォルト・ディズニー・スタジオでの仕事を始める

   映画「眠れる森の美女」などの装飾、背景、色彩を担当

1960 アニメーション映画会社を設立

1967 カリフォルニア水彩画協会よりジェイモイザー賞を受賞

1968 アリゾナ州フェニックス美術館より優秀賞受賞
   国内展で第1席と金賞受賞

1970 妻アリス死去

1973 ポールスキッチン夫人の後援で、ノーマンロックウェル
   他著名な12人の芸術家たちと全米各地で展覧会を展開

1986 ウィスコンシン州のラーウェスト美術館で油彩2点が
   永久保存作品となる

1987 日本各地で個展を開催

   タマラ・べイン・ギャラリーにて、大規模な個展開催
   (ロサンゼルス)

1988 ニューヨークのアートエキスポに参加

1991 自伝「ホライズン・オン・ア・バイシクル」刊行
   画集「1940−1990 シルクスクリーン全作集と自作の詩集」出版

   75才の誕生日を祝って、タマラべインギャラリーで
   「アイベン・ロール 75年」の大規模個展開催
   個展カタログ「アイベン・ロール 75年」刊行
   (ロバート・べイン社)

1996 サンフランシスコのギャラリー・エイドリアンにて個展
   56年にわたり制作された、800以上のクリスマスカードデザイン集
   「the Complete Christmas Card Art of Eyvind Earle」
   を出版

1999 国際アニメーション映画協会より、ウインザーマッケイ賞受賞

2000 7月20日 カリフォルニア州モントレーにて永眠
   享年84歳

舞台の背景画家の父親と女優である母親を両親に持つ中流家庭
の二男として生まれた。
幼少の時から父親の影響からか紙の切れ端などに絵を描いてい
た。
その後、両親が離婚した時には父親に連れられてヨーロッパを
転々と移動しながら絵を描く旅行をしていた。
しかし、旅行中父親から暴力を振るわれ逃げるように母親のい
るアメリカへと帰国をした。

1951にウォルト・ディズニースタジオへ入り「眠れる森の美女」
で背景と色彩を担当した。
この作品までにコンセプト・スケッチを担当していたのはメアリ
ー・ブレアだったが、彼女が描く絵は丸みが特徴的ないわゆる絵
本向きの絵だった。
その作風をウォルトはとても好んでいたが、その絵本のような絵
をアニメーション映画としては活かすことが出来ず「不思議の国
のアリス」を制作する際にもやはり、彼女の絵を手本にキャラク
ターたちを描いたが、完成した作品を観たウォルト自身はショッ
クを受けたという。
しかしアイヴァンドの絵を見てすぐに彼の作風を気に入り、前述
したとおり、『眠れる森の美女』を制作する上での背景と色彩の
全権を任され、ほとんどの背景を担当するに到った。寡黙で無表
情のまま仕事を黙々とこなすことで関係者の間では有名だった。
その後は、ディズニーランド内のアトラクションの一つである
「シンデレラ城ミステリーツアー」を建造する際のコンセプト・
スケッチを担当した。

その後メトロポリタン美術館に作品が収蔵されるなど社会的評価
を高める一方、世界各地で個展を開催した。
その作風は木や森林をモチーフにした幻想的で静寂感に包まれた
作品が多く、今日でも多数の美術愛好家から愛されている。
日本においても現代アートにラインナップされ、シルクスクリー
ンでの売買が盛んである。
上記で述べた無表情というのは、実はポリオに掛かっていたから
ではないかとマーク・デイビスの妻であるアリス・デイビスは語
っている。彼女や関係者が言うには、アイヴァンドの兄もポリオ
に掛かりその症状で亡くなっている。
兄の亡くなった年にアイヴァンド自身も病気に掛かり症状が発症
したらしい。
症状には顔の半分が麻痺してしまうことがあったらしく、無表情
だったのはそのせいではないかと推測される。
晩年は食道癌で2000年に亡くなっている。

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