フジ子ヘミングIngrid Fuzjko Von Georgii-Hemming
イングリッド・フジ子・フォン・ゲオルギー=ヘミング
1932年 12月5日スウェーデン人の父と日本人の
母のもとベルリン生まれる
1937年 ベルリンより帰国
母の手ひとつで東京に育ち、母投網子の
手ほどきでピアノを始めるまた
1942年 父の友人のピアニスト、レオニードクロ
イツアー氏に師事
幼少のころより天才ピアニストとして
周囲から注目される
以後芸大在学時を含め、長年にわたり
クロイツアー氏の薫陶を受ける
1939年 青山学院高等部在学中、17歳でデビュー
コンサートを果たす
東京芸大在学中には、毎日コンクール入賞
文化放送音楽賞など多数受賞
東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁
雄指揮による日本フィル等、数多くの国内オーケストラ
と共演
1948年 中耳炎の悪化により右耳の聴力を失う
1951年 ドイツへ留学
ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業
その後長年にわたりヨーロッパに在住し演奏家としての
キャリアを積むも、生活面では母からの僅かな仕送りと
奨学金で何とか凌いでだ
ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ=スコダ
に師事
今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ
マデルナにウイーンで才能を認められ、彼のソリストと
して契約したことは、フジ子が最も誇りにしていること
のひとつであるこの契約に際しては、フジ子の演奏に感
銘を受けたレナード・バーンスタインからの支持、及び
援助があった
リサイタル直前に風邪をこじらせ残っている左耳の聴力
をも失う耳の病のため演奏家のキャリアを一時中断せざ
るを得ず、失意の中、ストックホルムに移住。
耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得る
以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活
動を続ける
現在は左耳の聴力のみ約40%回復している
1995年 母投網子の死後、日本に帰国
母校である東京芸大の旧奏楽堂などでコン
サート活動を行う
1999年 NHKのドキュメント番組ETV特集「フジ子〜
あるピアニストの軌跡〜」が放送される
番組は大反響を巻き起こし、NHKには2000通を超える
投書が寄せられた
その後「フジ子ふたたび〜コンサートin奏楽堂〜」も
放送され、さらなる反響を呼ぶ
ファーストCD「奇蹟のカンパネラ」は発売後3ヶ月で30
万枚を売り上げる
第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシックアル
バム・オブ・ザ・イヤー」受賞
10月15日東京オペラシティ大ホールでの復活リサイ
タルを皮切りに本格的な音楽活動を再開
2001年 6月7日にはカーネギー・ホールでのリサ
イタルを披露する
2003年 10月17日に、フジテレビ系で波瀾万丈の
半生がテレビドラマ化される
スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの
軌跡』はフジ子役を菅野美穂が演じる
2013年 自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を
発足
アルバム第1作「フジ子ヘミング スペイ
ンカメラータ21オーケストラ」を国内外
でリリース
今販売されているCDは、クラシックの世界で売り上
げもトップを独走し続けており、その演奏スタイル
は「リストとショパンを弾くために生まれたピアニ
スト」と評される
本人が最も得意とする曲、リストの「ラ・カンパネラ」
は最も技巧を必要とする高難度な曲とされるが、正
確で完璧な演奏を嫌うフジ子は、譜面に忠実でない
独特のリズムで繊細かつ情熱的、情味たっぷりに演
奏する
苦難の人生を生き抜いてきた真実味が滲み出ている
ような血の通ったその音色は「魂のピアニスト」と
評される所以である |