福沢一郎

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日本シュールレアリズム、前衛美術の先駆者-福沢一郎
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福沢一郎「花(色紙に油彩3号)」
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 作家名 福沢一郎
 技法 色紙に油彩
 絵サイズ 3号(縦27.2X横24.2cm)
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦47.6X横44.6cm
 額の状態 ほぼ良好
 サイン 福沢一郎油絵筆サイン
 額の仕様 銀額縁
 マット 銀光沢マット
格安卸価格9万2000円
税込99,360円

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福沢一郎

福沢一郎「パルテノン(油彩6号)」
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 作家名 福沢一郎
 技法 キャンバスに油彩
 絵サイズ 6号(縦40.9X横31.8cm)
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦58.2X横49cm
 額の状態 ほぼ良好
 サイン 福沢一郎油絵筆サイン
 額の仕様 金装飾額縁
 マット 白布マット
格安卸価格売却済


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福沢一郎

日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られる。
群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)に生まれる。父は後に
富岡町長となった。
1915、旧制富岡中学校を卒業。第二高等学校英法科を経て
1918、東京帝国大学文学部入学。しかし大学の講義に興味
なく、彫刻家朝倉文夫に入門し、彫刻家を志す。1922、第
4回帝展に彫刻作品「酔漢」が初入選。1923の関東大震災
を機に渡欧を決意し、1924から1931にかけてパリに遊学
1924といえばアンドレ・ブルトンがシュルレアリスム宣言
を著した年であり、ジョルジョ・デ・キリコやマックス・
エルンストなど、最先端の美術潮流の影響を受けて絵画制
作へと移る。

1931の帰国に先立ち、1930、独立美術協会の結成に参加
第1回独立美術協会展に滞欧作品が特別陳列され、日本の
美術界に衝撃を与えた。以後も旺盛な創作活動と執筆によ
りシュルレアリスムの紹介に努め、前衛の主導的立場とな
る。1934年頃、プロレタリア芸術運動が政府の弾圧を受け
壊滅し、表現者の間で閉塞的な空気が立ち込める中で、小松
清らが唱えた行動主義思想に福沢も共鳴。古典的なイメー
ジを引用し、そこに象徴的な意味を忍ばせた作品を描き、
社会批評的表現を試みた。1936、福沢絵画研究所を開設、
後進の指導を行う。1939、独立美術協会を脱退し、若手の
画家たちとともに新たに美術文化協会を結成。この団体が
シュルレアリスムの影響を受けた画家たちの一大拠点とな
った。しかし、治安維持法違反の疑いにより1941年4月5日
詩人・評論家の瀧口修造とともに逮捕、拘禁された。
シュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ尋問を受け
る。同年11月に二人は釈放されるものの、その後は軍部へ
の協力を余儀なくされ、戦争記録画を手掛けるようになる。

戦後に活動を再開「敗戦群像」(1948群馬県立近代美術館蔵)
は、日本の近代美術史において、しばしば戦後美術の起点
と位置づけられる。1952、渡欧、その後ブラジルやメキシコ
、インド、オーストラリア、ニューギニア等を旅してまわる。
高度経済成長をとげる日本の社会状況にむしろ逆らうかの
ように、プリミティブなエネルギーから想像を膨らませた
作品を描いた。1957、この年を最後に美術文化協会を脱会
、以後無所属。同年、第4回日本国際美術展にて「埋葬」が
日本部最高賞受賞。1958、ヴェネツィア・ビエンナーレ副代
表として瀧口修造とともに渡仏。1965には公民権運動が高
まりを見せていたアメリカを旅し、自由を求める運動のエ
ネルギーを、アクリル絵具を駆使したすばやいタッチの連
作として描いた。1970年代以降は旧約聖書や神話の世界に
主題を求め、力強く奔放なタッチに鮮やかな色彩を特徴と
した。

多摩美術大学、女子美術大学教授をつとめた。1978、文化
功労者となる。1991、文化勲章を受章。

代表作に「他人の恋」(1930 群馬県立近代美術館蔵)
「科学美を盲目にする」(1930 群馬県立近代美術館蔵)
「《よき料理人」(1930 神奈川県立近代美術館蔵)など
がある。

福沢一郎年譜

1898 1月18日群馬県北甘楽郡富岡町に生まれる
   (富岡市)

1918 東京帝国大学文学部に入学
    しかし大学にはほとんど行かず、朝倉文夫の彫塑
    塾に通う

1924 彫刻の勉強のため渡仏

1927 彫刻をやめ絵画制作に本格的に取組むようになる

1931 第一回独立美術協会展に滞欧作が特別陳列
   (東京府美術館)
    帰国
    この後、次第に前衛絵画運動の主導者的立場をと
    るようになる

1939 独立美術協会を脱会
    美術文化協会を結成

1941 治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署
    に拘置される
    以後終戦まで、前衛的な絵画活動を厳しく制限
    され戦争協力画制作などに従事

1945 東京大空襲後軽井沢に家族と共に疎開

1949 美術文化協会を脱退

1952 文化自由委員会の日本代表として国際フェステ
    ィバルに参加するため渡仏

1953 フランスからブラジルへ渡り、サンパウロ、ベレ
    ンなどの街に滞在

1954 帰国
    美術文化協会に再入会

1957 第4回日本国際美術展に[埋葬]を出品、日本部
    の最高賞を受ける
    美術文化協会を再脱退

1965 渡米
    アメリカ留学中の長男夫妻を訪ねる
    ニューヨークに移り制作に励む

1976 「福沢一郎展」(群馬県立近代美術館)

  1978 文化功労者に選ばれる

1988 「福沢一郎展」
   (群馬県立近代美術館、世田谷美術館)

  1991 文化勲章受章

1992 「文化勲章受章記念 福沢一郎展」
   (群馬県立近代美術館)

    10月16日聖路加病院にて死去、享年94歳
    砧の聖愛教会で葬儀が行われる

2019 福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑い
    とばせ」が東京国立近代美術館で開催
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ギャラリーダッドアート
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