ホーム > 日本画作家 > 後藤純男 |
|
|
| |||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ご購入の手引 |
格安卸価格は送料込み、消費税別の価格です。 作品の到着後8日間以内のご返品は自由です。 お客様の都合による返送料はお客様負担となります |
後藤純男1930 千葉県東葛飾郡関宿町の真言宗住職の家に生まれる1932 埼玉県金杉村(現・松伏町)へ転居 1942 金杉小学校を卒業する 同年、父後藤幸男が母校で英語教員を勤めていた旧制 豊山中学校(現日本大学豊山高等学校)に入学し片道2 時間かけて通学した 1945 後藤幸男が粕壁中学の英語教員に転任すると一緒に旧 制埼玉県立粕壁中学校(現春日部高等学校)第4学年へ 転入する 1946 山本丘人に師事 粕壁中学校卒業後、東京美術学校を受験するが入学は 叶わなかった 1947 このから5年間埼玉県内の小中学校で教職に就きなが ら創作を続ける 1949 山本丘人の紹介で田中青坪に師事 1952 再興第37回院展で「風景」が初入選 5年間の教員生活を終える 1954 日本美術院院友に推挙される 1955 1963年頃まで関西、四国の真言宗の寺を巡りスケッチ 旅行をする 1960 北海道各地を取材(〜1969) 1962 再興第47回院展で「懸崖」が奨励賞 白寿賞・G賞受賞 千葉県流山市に転居、現在に至る 1966 再興第50回院展で「寂韻」が日本美術院賞・大観賞受賞 日本美術院特待に推挙される 1969 再興第54回院展で「淙想」が日本美術院賞・大観賞受賞 1974 日本美術院同人に推挙される 1976 再興第61回院展で「仲秋」が文部大臣賞受賞 1979 現代日本絵画展代表団の一員として初めて中国を訪問 これを機に、毎年中国へスケッチ旅行に出かける 1981 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のコマ ーシャルに出演 1982 中国の西安美術学院名誉教授に就任 1986 中国・西安美術学院名誉教授となる 再興第71回院展で「江南水路の朝」が内閣総理大臣賞 受賞 1988 高野山東京別院に襖絵「高野山の四季」を奉納 東京芸術大学・美術学部教授となる 1993 奈良・長谷寺に襖絵「夏冬山水」奉納 1995 パリ・三越エトワールで個展を開催 同帰国展を日本橋三越他で開催 1997 東京芸術大学を退官 「後藤純男美術館」を開設(北海道上富良野町) 1999 高幡不動尊金剛寺に襖絵「桂林山水朝陽夕粧」を奉納 2000 埼玉県松伏町名誉町民となる 上富良野町社会貢献賞受賞 2001 中国・西安美術学院研究棟内に「後藤純男工作室」が落成 2002 「後藤純男美術館新館」が落成(北海道上富良野町) 北海道立近代美術館で個展開催 2005 中国・湖南省帳家界へ取材旅 東京・日本橋三越本店を皮切りに「喜寿記念 後藤純男展」 を開催(〜2006) 2006 春の叙勲で「旭日小綬章」を受章 2014 5月10日大分県玖珠郡九重町の九州芸術の杜内に常設で 後藤純男リトグラフ館を開館(原画とリトグラフ) 2016 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞 東京藝術大学名誉教授の称号を受ける 千葉県流山市の名誉市民第一号となる 10月、敗血症により死去 |