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速水御舟(1894-1935)

 1894年 8月2日蒔田良三郎、いとの次男として東京市
       浅草に生まれる(本名栄一) 

 1908年 日本画家、松本楓湖の安雅堂画塾に入門する
       翌年に師から「禾湖(かこ)」の号を受ける 

 1911年 第11回巽画会に「室寿の讌」出品、一等褒状を
       受け宮内省買上となる
       紅児会に入会 

 1912年 号を自ら「浩然(こうねん)」と改める 

 1914年 成人を機に養子となっていた速水姓を正式に名
       のるり、「御舟」と改号 

 1915年 安画堂画塾の兄弟子今村紫紅を中心とし目黒の
       夕日が岡で赤曜会展開催 

 1917年 第4回院展に「洛外六題」出品、横山大観らの
       絶賛を受ける
       最年少で日本美術院の同人に推挙 

 1919年 浅草で交通事故に遭い、左足の踝から先を市電
       に轢かれるも九死に一生を得る 

 1920年 第7回院展に「京の舞妓」他を出品、そのあまり
       な細密描写が賛否両論をよぶ 

 1921年 吉田弥一郎の四女、弥(いよ)と結婚する 

 1926年 第1回個展を吉田幸三郎庭内で開催して、
       「炎舞」他を出品する 

 1929年 第16回院展に「名樹散椿(めいじゅちりつばき)」
       を出品する 

 1930年 ローマで開催の日本美術展のため渡欧、ヨーロ
       ッパ各地エジプトを巡遊 

 1934年 院試作展に「白日夢」を出品、3月「花と果実」
       を制作 

 1935年 3月20日腸チフスにて逝去、享年40歳 
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