ホーム > 日本洋画作家 > 長谷川潔 |
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後期マニエール・ノワールの中でも早い時期の作品である。 この作品の頃から、暗示的に意味を込めた小道具を使う意図が 明確になったのではないだろうか。 後期マニエル・ノワールの最初の作品[静物](1958)では、林檎 の表皮に鳩の模様を白抜きにして、それとなく象徴として表され るが、装飾効果としてまだ実験をしている様に感じられる。作品 の寸法もまた小さい。 [玻璃球のある静物]になるとオブジェの配置、つまり水晶玉や 水晶の文鎮,きづたの枝、貝殻などがはっきりとした意図を持っ ており、これから制作される様式を決定づけている。 「私は不思議なほど、まるで磁石に引き寄せられるように、透明 な色ガラスのオブジェに引き寄せられています。」と告白している ように、水晶玉を中心に置いているが、この透明な球に宇宙の不 思議な秘密が次から次と写し出されてくる魔法の玉を想定したの であろうか。 その水晶玉に、窓から写し込む光を写して反射している。 その質感は実に美しい。 思索を象徴構成するといっても、物に託した意味をことごとく説 明して押しつけているのではない。 また、謎解きでもない。 この画家の奥ゆかしい秘め事のような ものであろう。 見る者は、まず素直に画面を見たらよいのではないかと思う。 長谷川潔の版画芸術より・・・・・魚津彰夫著 |
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長谷川潔1891年 12月9日神奈川県久良崎郡に生まれる (現神奈川県横浜市) 1910年 麻布中学を卒業、病弱のため医師から自由 職業を勧められ画家を目指す 1911年 葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝に素描を 習い始める 1912年 本郷洋画研究所にて岡田三郎助と藤島武二 に油絵を習い始める 自画自刻の創作木版画を制作し始める バーナードリーチに出会いエッチング技法 を教わる 1913年 日夏耿之介らの同人誌「聖盃」の表紙を担当 この頃より銅版画の制作を始める 1916年 永瀬義郎ら共に最初の版画グループ「日本 版画倶楽部」結成 1918年 銅版画技法習得のため渡仏 1923年 サロン・ドートンヌ等展覧会に油彩画、銅版 画を出品 1924年 R・デュフィの勧めでソシエテ・デ・パントル ・クラヴール・アンデパンダンに入会 当時ほとんど衰退していた版画技法マニエ ール・ノワールを研究 1927年 仏蘭西現代美術展出品 1928年 春陽会会員 1930年 「航空と美術」国際展に銅版画出品(パリ) 航空大臣1等賞獲得(パリ) 1931年 日本版画協会創立会員 1935年 フランス政府よりレジヨン・ドヌール勲章 授与 1943年 シェリーヌ・M・ビアンキと結婚 1945年 パリ中央監獄ドランシー収容所に収監される 1964年 フランス芸術院通信会員推挙 1966年 フランス文化勲章受章 現代日本美術展で特賞を受賞 1967年 勲三等瑞宝章受章 1980年 大回顧展「銅版画の巨匠・長谷川潔展」が開催 される(京都国立近代美術館) 12月13日逝去 享年89歳 |