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木内克(1892-1977)


茨城県水戸市に生まれ生涯にわたり塑像に取り組ん
だ木内克は、20歳の時、彫金家を志して上京。
1914に朝倉文夫の主宰する彫塑塾に入門して彫塑を
学びました。1916には文部省美術展覧会で初入選し
、彫刻家としての道を歩み始めます。
しかし、渡欧の夢を持ちつづけていた木内は、1921旅
立ちます。翌年パリのグランドショミェールに入学。
そこで1年間ブールデルの指導を受け、さらにルーヴル
美術館に通い研鑽をつみました。そして、15年間の渡
仏で、ギリシャのアルカイック彫刻に啓示を受け、テ
ラコッタの技法を習熟し、豊かでおおらかな独自の作
風を確立しました。
 生涯具象彫刻にこだわり、人体像の柔軟で豊かな木
内の造形は、戦後の彫刻界に大きな足跡を残した。

木内克年譜

1892 茨城県水戸市に4人兄弟の末っ子として生まれる

1914 朝倉文夫主宰の彫塑塾に入門

1916 第10回文展に「平吉」が初入選

1921 渡欧(渡英、ロンドンからパリに渡る)(−35)
   パリのグランドショーミエール研究所でブールデ
   ルに師事

1922 サロン・デ・ザンデパンダンに「猫」他を出品

1926 サロン・ドートンヌに「猫」「立像」出品

1927 窯業家のラシュナルを訪ね、陶器を始める

1930 古代ギリシャのアルカイク彫刻に傾倒し、テラコ
   ッタの技法を習得する

1935 緊迫するヨーロッパの国際情勢を前に帰国を決意
   ナポリ港から日本郵船の榛名丸(はるなまる)に
   乗船する

   帰国後は二科展をおもな舞台に発表する

1936 第23回二科展で特賞受賞

1938 「木内克作陶展」開催

1941 二科会を脱退して文展の無鑑査となる

1946 この頃から松平須美子が終生のモデルになる

1948 第2回新樹会展に滞欧作を出品

1951 第3回毎日美術賞受賞
   第1回サンパウロ・ピエンナーレ出品
   第3回毎日芸術賞受賞

1954 代表作「みつけたポーズ」制作

1955 ユネスコ国際造形芸術連盟の美術装飾に選定される

1956 日本の彫刻・近代と現代(国立近代美術館)

1958 第29回ヴェネツィアビエンナーレ出品
   木内克彫刻展(鎌倉近代美術館)

1961 近代日本彫刻の流れ(国立近代美術館)

1962 第5回現代日本美術展で優秀賞受賞

1963 全国彫刻コンクール応募展出品

1965 第1回現代日本彫刻展出品

1970 紺綬褒章を受ける
   第1回中原悌二郎賞を受賞

1972 勲三等瑞宝章を受ける
   記録映画「土くれ」で文部省芸術祭記録映画部門最
   優秀賞

1973 近代美術におけるパリと日本
   (東京国立近代美術館)

1974 第29回茨城国体にはモニュメント「女神像」を設置
   する
   高村光太郎賞、吉田五十八賞の選考委員を歴任

1977 急性肺炎で、東京荒川区の関川総合病院で死去
   享年84歳

代表作
「女」1956 - ウェイバックマシン
「エーゲ海に捧ぐ」1972
「女の顔」

エピソード
小さい頃から動物好きで、特に猫は7,8匹飼っていた時もあり、
作品に多く残した。
パリから帰国後、生計を立てるためにマジョリカを製作し、時計
店に陳列していた。
晩年はバリ島・台湾・バンコクなど様々な地域へスケッチ旅行
へ行き、精力的に活動した。
著書の「木内克の言葉」には、木内の芸術思想が書き留められ
ている。
「ぼくは彫刻というものは宝石を入れる箱であると思っている」
「芸術というものは写生そのものではなく、いろいろな味があ
ったり、匂いがあったりするようなものだとおもう。その人自
身がでてこなければいけないものだよ。」
「ぼくは小さい頃から動物ならなんでも好きだった。特に猫と
馬はこの年になるまで好きだね。」
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