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フェルナン レジェ
Fernand Leger(1881-1955)


 1881年 2月4日フランス、ノルマンディー地方の内陸部に位置するオ
       ルヌ県アルジャンタンに畜産農家の息子として生まれる

 1887年 カーンの建築家のスタジオで修業

 1900年 パリに出る
       建築製図工の仕事をしながら、装飾美術学校やアカデミー・ジ
       ュリアンに通う
       印象派風の風景、人物画などを描き、独自の作風を求めて模索

 1987年 サロン・ドートンヌ開催のセザンヌ回顧展に大きな影響を受ける
       当時の前衛美術運動であったキュビスム(立体派)に参加する

 1908年 モンパルナスの共同住宅兼アトリエ「ラ・リュッシュ」に住む、
       そこに住んでいたマルク・シャガールらの画家と知り合う
       「ラ・リュッシュ」は当時の若い画家たちのたまり場となって
       おり、モディリアーニ、スーティンらの画家も出入りしていた

 1910年 有力な画商カーンワイラーに認められる

 1912年 カーンワイラー画廊で初の個展を開催

 1913年 カーンワイラー画廊と専属契約を結ぶ
       ジャッ ヴィヨン、フランシス ピカビアが参加していたセクシオ
       ン・ドール(黄金分割)という前衛画家グループに加わる

 1912年 セクシオン・ドールのグループ展にも参加(ボエシー画廊)
       ジャック・ヴィヨンらのアトリエがあった場所の地名をとって
       「ピュトーグループ」とも呼ばれるこのグループは、キュビスム
       が軽視していた色彩を復活させるなど、キュビスムの運動をより
       発展させようとしたものであったが、長続きせずに終わった。
       レジェはこうした当時の前衛的な美術運動に参加しつつ、キュビ
       スムとも抽象絵画とも異なった独自の様式を確立していく

 1914年 第一次世界大戦に従軍(−1917)

 1920年 建築家ル・コルビジェと知り合う
       以後、ル・コルビジェの設計した多く名建物の壁画を担当する

 1923年 ダリウス・ミヨーのバレエ「世界の創造」初演の舞台美術担当

 1940年 第二次世界大戦の戦火を避けて渡米(−1945)

 1949年 南仏アンティーブ近郊の山村ビオットで陶器の制作を始める

 1952年 当時71歳のレジェは、弟子でロシア出身の画家であるナディア
       と再婚、再婚を機にセーヌ・エ・オワーズ県(現在のエソンヌ
       県)のジフ=シュル=イヴェットに転居

 1955年 ジフ=シュル=イヴェットで8月17日死去

 1960年 ビオットにフェルナン・レジェ美術館が建てられる

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