リャドは1946年にスペインのバルセロナ中心部から、約10km の地点にあるバダロナに生まれました。 暑い夏、温暖で乾燥した冬が特徴の山と海岸にまたがる都市です 幼い頃から造形活動に優れた感受性を表す一方で、自己の創造 の世界に閉じこもりがちであったそうです。 学校での勉強には全く興味を示さなかったため、興味を持って いる芸術を中心に学ぶこととなりました。 9歳のころから絵を描き始めますが、肖像画の名手といわれる リャドからすると以外にも、具象芸術から離れ16歳頃までは抽 象画、シュルレアリスムを好んだそうです。 また、演劇にも興味を持ち、絵画を学ぶのと同時に舞台と舞台 芸術にも取り組みました。 多作家として有名なピカソも舞台芸術に取り込んでおりました し、スペインにはそういった芸術家を生み出す文化や土壌があ るのではないでしょうか。 美術学校では絵を学ぶあいだに様々な賞を受賞し、課程修了を 待たず弱冠19歳にして助教授に任命されるほど、その才能を 開花させました。 1971年には自身初の展覧会を開催。 3年後の全国的な展覧会で発表した肖像画の数々は評論家から 高い評価をうけました。 その秋には、コペンハーゲンに渡り、ヘンリー皇太子殿下やベ ネディクト皇女殿下、デンマーク王室貴族の肖像画を多く描き、 王室お抱えの画家として地位を確立しました。 そして、42歳になる1988年には、クリエイティブな仕事や美術 を称賛して、パリのジャーナリスト協会から送られる〈パーソ ナリティ・オブ・ザ・イヤー〉に選ばれました。 スペインの画家としては「ミロ」「ダリ」に続く史上三人目の 快挙でした。画家だけではなく、舞台美術、デザインなど芸術 家としての才能が認められたからに他ならないでしょう。 "ベラスケスの再来"、"20世紀最後の印象派"、"光の収集家" 数々の名声を博しながらも47歳で夭折した、スペインを代表す る画家ホアキン・トレンツ・リャド。 肖像画を手掛ければバロック絵画の巨匠ベラスケスを、風景画 を手掛ければ光の画家モネを彷彿とさせる多様な表現力で、ス ペインやモナコ等、数々のヨーロッパ王室を虜にしました。 また、彼は卓越した技能を要する、絵の具を叩きつけるように して飛沫を飛び散らせる、スプラッシング技法の確立者でもあ りました。 近接では、激しい筆遣いを残すダイナミックなタッチで滴り落 ちて零れる色彩。 しかし、離れると突如として穏やかな作品へと姿を変えるので す。 中心に置く四角いフレームは、外との世界を繋ぐ『窓』。 そこからは、目も眩むような光彩が溢れ、見る者を惹き付け、 鼓動を高鳴らせます。 光を操り、風の色を捉え、香気さえ描き出し、迸る情熱で駆け 抜けた、短くも華々しい功績を残した生涯。 没後25年を過ぎても尚、彼は世界中の人々の心を揺さぶり続け ています。 トレンツリャド年譜 1946 カタルーニャ地方のバダローナに生まれる 1955 9歳でバルセロナのアカデミアバルスで絵を描き始める 1961 バルセロナのサン・ホルヘ高等学校で、絵画を学ぶ (〜66年) アミーゴ・クージャス・フォンデーションより奨学金を受ける 1965 19歳で助教授に指名される 1967 デッサンの教授の資格を得る 1986 テキサスの名誉市民に選ばれる 1988 パリの「パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる スペイン人としてはミロ、ダリに続き史上3人目 1990 日本での初個展開催 1991 スペイン"セビリア・フェスタ"の公式ポスター制作 1992 オランダ、花のオリンピック"フロリアード92"の 日本公式ポスター制作 1993 3度目の来日展開催 10月6日、マジョルカにて永眠 享年47歳 |