小倉遊亀(1895-2000)日本を代表する女性画家の一人 現在の滋賀県大津市中央に生まれる。 1990〜1996まで、日本美術院理事長を務めた。 1998、奈良女子大学初の名誉博士。 2000年7月23日、105歳で死去、同日、従三位に叙される。 戒名は「大梅院天池遊亀大姉」 遊亀の作風は1950年頃までは、細密な描写や端正な作品 構成が特徴的である。 1951〜1965の作品は、マチスやピカソといった西洋絵画 を研究した成果が大胆に取り入れられる。 1966〜1976までの作品は、円熟期に達した遊亀独自の境 地と評される。 奈良女子大学の講堂の緞帳は遊亀の「爛漫」、滋賀県立大津 高等学校の体育館の緞帳は「うす霜」という原画によるも のである。 小倉遊亀年譜 1895 3月1日滋賀県大津市に生まれる (本名はゆき、旧姓は溝上) 1913 滋賀県立大津高等女学校(現滋賀県立大津高等学 校)を卒業後、奈良女子高等師範学校(現奈良女子 大学)国語漢文部に入学 1917 奈良女子高等師範学校をを総代で卒業 京都第三高等小学校に着任 1919 椙山高等女学校教諭を務める 1920 横浜の捜眞女子校講師となる 安田靫彦に入門を許される 1926 第13回院展「胡瓜」初入選 以後落選なし 1932 奥村土牛と共に日本美術院同人推挙 女性初の同人となる 1938 山岡鉄舟門下の禅者小倉鉄樹と結婚、それ以降 は鎌倉に居住した 1944 小倉鉄樹死去 1954 第四回上村松園賞を受賞 1955 「裸婦」(第39回院展出品)が芸能選奨美術部門 文部大臣賞受賞 1957 「少女」(第41回院展出品)が第8回毎日美術賞 受賞 1962 「母子」(第46回院展出品)が第18回 日本美術院賞受賞 1976 日本芸術院会員に任命される 第一部(美術)では、上村松園以来2人目の女性 会員 1978 文化功労者として顕彰され、日本美術院理事 に推挙 1980 文化勲章授章 女流画家としては上村松園以来であり、女性 として文化勲章を受けたのは三人目である 1981 「文化勲章受章記念・小倉遊亀展」開催 (日本橋三越本店) 1984 滋賀県立近代美術館開館 「開館記念小倉遊亀回顧展」開催 1993 「白寿記念・小倉遊亀展」開催 (を日本橋三越本店、大阪三越) 1994 白寿を記念して、天皇・皇后両陛下より銀杯一 組と皇居の梅を下賜 1995 朝日新聞社主催「百歳記念小倉遊亀展」開催 (日本橋三越) 1996 日本美術院名誉理事長に就任 1997 鎌倉芸術会館にて「小倉遊亀展」開催 1999 パリ三越エトワールにて海外初個展開催 「パリ展帰国記念 小倉遊亀展」を開催 2000 7月23日逝去 享年105歳 2001 「小倉遊亀回顧展」開催 (滋賀県立近代美術館) 2002 「小倉遊亀展」開催 (東京国立近代美術館、滋賀県立近代美術館) 受賞歴 1954「O夫人坐像」などで第4回上村松園賞] 1955「裸婦」(第39回院展出品)芸術選奨美術部門文部大臣賞 1957「小女」(第41回院展出品)第8回毎日美術賞 1962「母子」(第46回院展出品)第18回日本芸術院賞 1975 神奈川文化賞 1979 滋賀県文化賞 1980 文化勲章 主な作品 浴女(1938年、東京国立近代美術館蔵) 受洗を謳う(1936年、滋賀県立近代美術館蔵) 観世音菩薩(1941年、滋賀県立近代美術館蔵) 舞妓(1969年、京都国立近代美術館蔵) |