小山田二郎(1914- 1991)
1914年 父の赴任先である中国安東県に生まれる
1915年 祖父母に引きとられ東京根岸に育つ
1916年 先天性ウェーバー氏病の手術を行うが成功に至らなかった
1919年 日本画家・小堀鞆音から透明水彩を学び始める
1926年 中国から帰国した母と共に祖母の郷里、栃木県大田原へ移る
1934年 帝国美術学校図案科入学
1935年 シュールレアリスムを標榜する絵画グループ「アニマ」結成。
西洋画科に転入するが36年父に反対され中退
1937年 独立美術協会展に出品
1940年 美術文化協会展に出品(〜’44)
1947年 画家として立つことを決意し、自由美術家協会会員となり、出品(〜’57)
1952年 瀧口修造に認められタケミヤ画廊にて個展開催
1955年 ブルックリン国際展
1957年 サンパウロビエンナーレ
1959年 団体展に疑問を持ち自由美術家協会脱会
1961年 大丸にて個展(〜’62)
1963年 飯田画廊にて個展(〜’69)
1974年 フマギャラリーにて個展(〜’82)
1983年 東邦画廊にて個展(〜’90)
1991年 7月26日 死去(77歳)
翌年の新聞記事「ひっそりと去った異才−小山田二郎」(針生一郎)で知られる
1994年 小山田二郎展(小田急美術館・栃木県立美術館)
1995年 阿久津画廊にて個展(’05、’06、’09)
1997年 小山田二郎の水彩画(富岡市立美術博物館)
小山田二郎・豊田一男二人展(阿久津画廊)
2005年 小山田二郎展(東京ステーションギャラリー5/28-7/3、高崎市美術館9/17-11/3)
2006年 NHK新日曜美術館「伝説の画家・小山田二郎」放映
記憶から生まれる幻想や自己の内面にある小宇宙を描き続けた画家、小山田二郎
小山田独特の攻撃的、自虐的な造形感覚と表現力は、鮮烈かつ衝撃的で、世紀を超えて
見る者の心をわし掴みにする。
小山田は、抽象とシュルレアリスムという二つの新しい芸術思潮の影響を受けた前衛
的な群小美術グループの中で育ち、戦後間もない時期の画壇を担う。
71年以降は友人にも居場所を知らせず、それまでの家族を残して失踪し、世間との
かかわりを画廊に送る作品のみに限った。