ホーム > 近代美術作家 > ルオー |
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「ミゼレーレ」はルオーの傑作のひとつであり、モノクロの
荘厳な画面の中にキリストの生涯を感動的に描いています。 「ミゼレーレ」1922年から1927年にかけてルオーに よって彫版された版画集 アンボワーズ.ヴォラールの発意で、パリの刷り師ジャック マンにより500組刷られ、ヴォラールが没するまで、これ を保管した。 戦争とう状況は版画の消滅や破損を導いたため「ミゼレーレ」 は1〜425の番号入りと、I〜XXVの25部の合計450部が 「流れる星出版社」より刊行された。 |
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「ユビュ親父の再生」は1896年にパリのラ・メゾン
・ドレーヴル劇場で初演されたアルフレッド・ジャリ (1873-1907)の戯曲「ユビュ王」に由来する。 ジャリの生んだ"ユビュ"は、破天荒な怪物でありながら、 同時に特定できない「タダノヒト」でもあるという不思議 な存在である。 王を殺し、裁判官を殺し、金のために無差別に人を殺す、 かと思うとわが身を 守るためにいくらでも臆病で、卑劣にもなれる。 「ユビュ王」はどこにもない場所で、どのように演出する ことも、どのように読み取ることも自由な限定されない 戯曲である。 そのためにさまざまな演出で、常に新しい劇として今も 上演され続けている。 画商アンブロワーズ・ヴォラール(1867-1939)もこの怪物 に魅せられ、ユビュを政治家たちの悪徳の象徴としてと らえて、政界のカリカチュア「ユビュ親父の再生」を書 き、ルオーに挿絵を依頼した。 ヴォラールの依頼を受け、ルオーは、6年の歳月をかけ て22点の銅版画と104点の木版画で、独自のユビュ の世界を創りあげた。 その世界はルオーの他の作品にみられるような自己の内 面から湧きでる精神性をもった表現となっている。 |
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ご購入の手引 |
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ジョルジュ ルオーGeorges Rouault1871年 パリの家具職人の家庭に生まれる 装飾美術学校の夜学に通う 1885年 ステンドグラス職人のもとで見習い (−90) ユイスマンなど熱心なカトリック作家たちと 出会い、キリスト教的世界への関心を深める 1890年 エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドロ ーネの教室に入る 1891年 ギュスターヴ・モローに師事 マティス、マルクらと出会う ローマ賞に出品をするが全て落選 1895年 モローのすすめで学校を退学する 聖書より題材を得た油彩画をフランス芸術家 展に出品(−1901) 1898年 モローの死後モローの作品を所有するモロー 美術館の館長を任される 1902年 健康を害し療養生活( -03) 青みかかった色調で、娼婦、道化師らを表現 主義的に描く画風となる 1903年 サロン・ドートンヌを創立し、その後5年続 けて出品 1906年 ベルト・ヴェイユ画廊で展覧会 1908年 結婚 1910年 パリのドリュエ画廊で初めての個展 1911年 宗教的テーマをてがけていく 1914年 画商ヴォラールから版画シリーズの注文を うけ、制作( -18) 1918年 キリストやピエロの顔などを制作 宗教的テーマがますます多くなり、色彩 は多色になっていく 1920年 ラ・リコルヌ画廊で個展 1922年 バルバザンジュ画廊で個展 1924年 ドリュエ画廊で大回顧展 1929年 「放蕩息子」の舞台装置を手掛ける 1930年 ロンドンのセント・ジョージ画廊、ニューヨ ークのブルンマー画廊、シカゴのアート・ク ラブ、ミュンヘンのノイマン画廊など初の海 外個展 この頃よりマチエールはさらに厚くなる。 1937年 プティ・パレ美術館での「独立芸術の巨匠展」 に42点展示 1938年 ニューヨーク近代美術館で版画作品展 1945年 ニューヨーク近代美術館で大回顧展 アッシーの教会のステンドグラスもてがける 1948年 モノクロ・アクアチント58枚組「ミゼレーレ」 を制作 1948年 ヴェネツッア・ビエンナーレに油彩画26点と 版画12点を出品 チューリッヒのクンストハウスで大回顧展 ガレ画廊で『ミセレーレ』が展観 1951年 生誕80年を記念しカトリック知識人センター 主催で「ルオー礼讃」の夕べが開かれる 1952年 ブリュッセルのベルギー王立美術館、アムステル ダム市立美術館、パリ国立近代美術館で回顧展 1953年 クリーヴランド美術館、NY近代美術館、東京 国立博物館、大阪市立美術館などで回顧展 1954年 ミラノ近代美術館で回顧展 1958年 死去 享年86歳 |