ロン ウッドRonald David Ron Wood
1947年 6月1日イギリス、ロンドンに生まれる
本名:ロナルド・デイヴィッド・ウッド
1964年 西ロンドンのイーズリーを拠点としたザ・バーズ
(The Birds)からスタート
1960年代後半にはザ・クリエイションや兄アートウッドが
結成したアートウッドに参加、その後クワイエット・メロンに
参加したがどれもあまりヒットせず短期間で解散した
その後、ベーシストとしてジェフ・ベック・グループにロッド
スチュワートと共に参加するが、ウッドとロッドスチュワート
「ベック・オラ」(1969年)発表後、同グループから離脱した
ウッドとスチュワートは、スティーヴ・マリオットが脱退した
直後のスモール・フェイセスに参加
バンドは間もなくその名をフェイセズと変える
フェイセズはイギリスで酔いどれロックンロール・バンドとし
て人気を得るようになった
フェイセズは「ステイ・ウィズ・ミー」「玉つきリチャード」
などのヒットをはなった
また、1974年にはロン・ウッド初のソロ・アルバム「俺と仲間」
を発表している
フェイセズのライヴは音楽評論家などから高く評価されたが、
1975年に解散した
1974年ローリング・ストーンズからミック・テイラーが脱退し
た後、ストーンズの1975年のツアーにビリープレストンと共に
サポートメンバーとして参加した
1976年ウッドはそのままアルバム「ブラック・アンド・ブルー」の
レコーディングにジェフ・ベックの推薦で参加
1975年の1月から2月にかけて行われたこのレコーディングは、
テイラーの後任ギタリストを捜すためのオーディションでも
あり、「グレート・ギタリスト・ハント」と呼ばれた
ウッドの後談によると、候補にハーヴィー・マンデルがおり
ロリー・ギャラガーもセッションに参加していた
1975年4月にウッドは、にストーンズのアメリカ・ツアーの
サポート・ギタリストとして発表される
]
同年7月には、ボビー・ウーマック[5]とイアン・マクレガン
を共同プロデューサーに迎えたウッド2作目のソロ・アルバ
ム「ナウ・ルック」を発表
1976年2月にまだフェイセズのメンバーであったが、フェイ
セズ解散後のにストーンズにメンバーとして加入した
(契約書上の正式メンバーになったのは1993年からであり、
それまでは給料制の契約であった)
1978年には映画ラストワルツに出演
1979年自身のバンドニューバーバリアンズをキースリチャー
ズなどと結成した。 1988年ボ・ディドリーと共に来日
2020年2月18日英国で開催されたBrit Awards 2020で、ロッド
スチュワート、ケニー・ジョーンズと共演しStay with me を
プレイした
ギタリストとしてのキャリアもさることながら、画家としての
才能もあり、自身のソロ・アルバムのジャケットを手がけて
いる他、個展も数多く開催しており、独特の味わいのある画風
には、ファンも多く、展覧会も毎回盛況である |