1928 7月10日、パリに生まれる 1943 ナチス・ドイツ占領下、ヴォージュ広場 のパリ市夜間講座に通う 国立美術学校の入学試験に合格し、12月 からユージェーヌナルボンヌ教室で学ぶ 1945 アトリエ作品賞受賞 母ブランシェ死去 《キリストの降下》などの本格的な作品を 生み出す(パリ国立近代美術館所蔵) 1946 サロン・デ・モワン・ド・トランタン (30歳以下の人たちの展示会)に初めて 《自画像》を出品 1947 アンデパンダン展(風景画と静物画の2点) とサロン・ドートンヌ《肘をつく男》を出品 し、注目され始める カルチェ・ラタンの書店「アンプレッショ ンダール(芸術の印象)」で最初の個展 1948 批評家賞を受賞《ふたりの裸の男》 (サン・プラシッド画廊) 以後、世界各地で個展が開催される ドライポイントを始める 1950 プロヴァンスに滞在し、小説家ジャン・ジオノ や詩人ジャン・コクトーと親交を深める 1951 代表作《キリストの受難》三部作を制作 1952 リトグラフを始める 1953 第2回日本国際美術展に《化粧する女》出品 (以後第6回展まで出品) 1955 「コネッサンス・デ・ザール(芸術の知識)」誌が 企画した「戦後の画家10傑」の1位に選ばれる 1958 アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚 1959 神奈川県立近代美術館で、日本最初のビュフェ 展(デッサンと版画)が開催される 1963 回顧展「ビュフェ展、その芸術の全貌」が東京 の国立近代美術館と国立近代美術館京都分館 で開催される 1973 静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館 が創設される 1974 ヴァティカン法王庁美術館のアパルタメント・ ボルジアに「現代宗教美術コレクション」の 一部として《ピエタ》《受胎告知》などの大作 6点が収められる 1975 フランス・アカデミー会員となる 1980 ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日 関西方面を取材旅行する 1991 ロシアのエルミタージュ美術館とプーシキン美 術館で大回顧展 1993 レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号 を受ける 1995 日本を縦断する大規模なビュフェ展が開催される 1996 ベルナール・ビュフェ美術館に版画館が増設される ビュフェ夫妻は落成祝賀に臨席 1999 10月4日、ボームの自宅にて逝去 ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が 臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う 2000 「死」展(モーリス・ガルニエ画廊) 2001 全国6ヶ所を巡回する「ビュフェ追悼展」開催 2005 8月3日、アナベル夫人逝去 2008 「ベルナール・ビュフェ」展(フランクフルト) 2009 「ベルナール・ビュフェ没後10年」展 (ベルナール・ビュフェ美術館) 「ビュフェとアナベル」展 (横浜そごう美術館、いわき市立美術館) |