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ポール デルヴォー

Paul Delvaux(1887-1994)

16世紀のマニエリスト達が描いたような女性像や、独自の
夢とノスタルジーの世界を築く。作品の中では、無表情で
大きな目を見開き、陰毛をあらわにした裸の女性たち、駅
、電車、骸骨、拡大鏡で何かを観察している学者などが題
材としてくり返し描かれ、背景には石畳の道や線路などが
透視図法を用いて描かれることが多く、古代ギリシャの神
殿のような建物の遺跡がよく用いられる。静寂さの中に幻
想的な世界が広がるその作風によって、「幻想画家」とい
う形容もなされる。
ベルギー北西部のリゾート地KoksijdeのSint Idesbaldに
は彼の主要作品を多く所有するポールデルヴォー美術館が
ある。愛知県美術館には代表作「こだま」(1943)が収蔵され
ている。

1897年9月23日、ベルギー・リエージュ州ユイ近郊の村アン
テイトで父ジャン、母ロールの第1子として生まれる。父はブ
リュッセルの弁護士で、母はアンテイトの穀物商の娘であっ
た。 二人は前年の10月に結婚した。1910ブリュッセルのサン・
ジル高等学校に入学。そこでギリシャ・ラテンの古典を学ぶ。
ホメロスの「オデュッセイア」を熱心に読み、教科書の余白
などに神話を題材にした戦いの場面や神殿などをデッサンし
た。1920にブリュッセル王立美術アカデミーに入学。1935
以後、運動には直接参加しないままシュルレアリスム展にし
ばしば出品した。1950にブリュッセル市国立美術建築学校絵
画部門の教授、1965にはブリュッセル王立美術アカデミーの
美術部門長となる。
長くブリュッセルに住んだが、1994に老衰により死去した。

ポールデルヴォー年譜

1887 ベルギー、リエージュ州の弁護士の家庭に生まれる
   ブリュッセルの美術アカデミーの美術科で学ぶ

1924 後期印象派グループ展に出品

1925 初個展

1926 ブリュセルのマントー画廊で個展( -29)

1932 ブリッセルで「ミノトール展」が開催される
   シュール・レアリスムに衝撃を受け、この頃より
   表現主義的なものからシュルレアリスム的な傾向
   のものに変化する。

1936 ブリッセルのパレ・デ・ボザールに出品

1938 パリのギャルリー・デ・ボザールの「国際シュー
   ルレアリスム展」に出品

1940 メキシコの「国際シュールレアリスム展」に出品

1944 ブリュッセルのパレ・デ・ボザールで回顧展
   ブリュッセルで回顧展

1946 アメリカでの個展が成功( -49)

1948 ヴェネツィア・ビエンナーレに参加

1950 ブリュッセル市ラ・カンブルの国立美術建築学校
   絵画部門の教授に就任

1951 「鉄の時代」を制作

1954 汽車や駅舎を画面により取り入れていく

1962 オステンデ美術館で回顧展

1965 ベルギー王立アカデミー美術部門長に任命

1966 初めてリトグラフ制作

1975 東京、京都の国立近代美術館で展覧会開催

1994 ヴュルネで死去 享年96歳

日本にあるデルヴォー作品
「海は近い」など139点 姫路市立美術館
「階段」など18点 横浜美術館
「トングルの娘たち」など2点 ポーラ美術館
「オルフェウス」(1956年) 松岡美術館
「森」 埼玉県立近代美術館
「こだま(あるいは「街路の神秘」)」(1943年)
 愛知県美術館
「捧げもの」 メナード美術館
「夜の汽車」 富山県美術館
「夜の通り(散歩する女たちと学者)」 福岡市美術館
「出現/クロード・スパーク「鏡の国」ための連作「嵐」より」
 宮崎県立美術館
「二人の女」 ヤマザキマザック美術館

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