ジャン フォートリエJean Fautrier
1898年 5月16日フランスのパリに生まれる
幼少時に1父が死去。一時祖母のアイルランドで暮らすが、
10歳のときに祖母も亡くなり、母のいるロンドンへ転居
1909年 イギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤルアカデミー
に入って美術を勉強するが、中退する
1917年 召集を受けて帰国。英語が堪能なため、さまざまな任務に
つき、戦線で負傷
1920年 第1次世界大戦終了を機にパリに戻る
ポール・ギョームらの知遇を得る
1923年 初個展
1928年 初めての抽象的な絵を描く
1929年 現代の古代洞窟壁画的な『横たわる裸婦』などを制作
1934年-39年 不況により、ポール・ギョームらからの援助も
打ち切りとなる
パリからアルプス地方へと転居し、スキーの指導員、
ナイトクラブの経営等で生計を立て絵画から遠ざかる
1940年 第2次世界大戦中は対独抵抗運動の中心人物となり、
パリの郊外に隠れて〈人質〉のシリーズを制作する
パレット・ナイフによって念入りに厚く塗り重ねた淡い
色彩によって、既製の形に頼らず、絵画のマチエールの
自発的な働きをつむぎ出すようなその作品は、アンフォ
ルメルの源流となっている
アメリカの抽象表現主義に与えた影響も少なくない。
1943年 パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展開催
1945年 パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展開催
レジスタンスの知識人より賞賛を集める
これは当時、彼の隠遁隠先のシャトネイ−マラブリイの
精神病院に隣接した森の中で、捕虜たちがナチスに処刑
されたことに憤り、制作を着手したといわれる(42年頃)
1956年 リヴ・ドロワット画廊で《物体》シリーズの個展を開催
1957年 ハンガリー動乱をもとに〈パルチザン〉を発表
1959年 来日、南画廊で個展を開く。
1960年 ヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞
1964年 7月21日フランスで没する |