具体美術宣言吉原治良(1905-72)
今日の意識に於ては従来の美術は概して意味あり気な風貌を呈する偽物に見える。
うず高い、祭壇の、宮殿の、客間の、骨董店のいかものたちに袂別 しよう。
これ等のものは絵具という物質や布切れや金属や、土や、大理石を人間たちの無意味な意味づけによって、素材という魔法で、何らかの他の物質のような風貌に偽瞞した化物たちである。精神的所産の美名に隠れて物質はことごとく殺戮されて何ごとをも語り得ない。
これ等の屍を墓場にとじこめろ。
具体美術は物質を変貌しない。具体美術は物質に生命を与えるものだ。具体美術は物質を偽らない。
具体美術に於ては人間精神と物質とが対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない。物質は物質のままでその特質を露呈したとき物語りをはじめ、絶叫さえする。物質を生かし切ることは精神を生かす方法だ。精神を高めることは物質を高き精神の場に導き入れることだ。
芸術は創造の場ではあるけれど、未だかつて精神は物質を創造したためしはない。精神は精神を創造したにすぎない。精神はあらゆる時代に芸術上の生命を産み出した。しかしその生命は変貌を遂げ死滅してしまう。ルネッサンスの偉大な生命群も今日では考古学的な存在以上の生命感をうけとり難い。
今日消極的ではあるけれど辛うじて生命感を保ち得ているものはプリミティヴの芸術、印象派以降の美術群であろうけれど、これ等のものは幸いにして物質の、即ち絵具を駆馳してごまかし切れなかったか、或は点描派、フォーヴィズムのように物質を自然再現の用に供しながらも殺戮するにたえなかったものたちだ。しかし今日も早やわれわれに深い感動をもたらし得ない。過去の世界だ。
ここに興味のあることは過去の美術品や建築物の時代の損傷や災害による破壊の姿に見られる現代的な美しさだ。これ等は頽廃の美としてとりあつかわれているけれど、案外人工の粉飾のかげから本来の物質の性質が露呈しはじめた美しさではないか。廃虚が案外に温く親しみ深く我々を迎え入れ、さまざまな亀裂や剥だつの美しさをもって語りかけることは物質が本来の生命をとりかえした復讐の姿かも知れない。以上の意味に於て、現代の美術ではポロック、マチュー等の作品に敬意を払う。これ等の作品は物質即ち油絵具やエナメル自体が発する絶叫である。これ等の二人の仕事はそれぞれの資質的な発見による的確なやり方で物質と取組んでいる。むしろ物質に奉仕するようでさえある。分化と統合のすさまじい効果 が湧き起っている。
最近富永惣一氏、堂本尚郎氏等によってマチュー、タピエ等のアンフォルメルの美術活動が紹介されたが極めて興味深い。詳しく知ることは出来ないが紹介された論旨は同感するところが多い。既成的な形にとらわれず今生れ出て来たばかりのういういしい発現を要求する点など表現は相異しても生々しいものを要求していたわれわれの主張と不思議な一致に驚かされるところがあった。しかし可能の追求に当って、抽象美術の色・線・形等の観念的な造形のユニットが物質の特性と如何なる関係に於て把握されたかは詳かにしない。抽象性の否定については論旨がよくはわからないが、われわれは定型的な抽象美術に対しては明かに魅力を喪失し、抽象主義よりの前進が三年前具体美術協会結成の一つの合言葉であり、具体主義の名称がそのために選ばれたのも事実である。とりわけ抽象主義の求心的ななり立ちに対して必然的に遠心的な出発を考えないわけにはいかなかった。
われわれは当時──今もだが──抽象主義の最も大きな遺産は再現の芸術から真に創造の名に値する新しい主体的な空間創造の可能性を開いた点にあると考えた。
われわれは純粋創造活動の可能性を旺盛に追求したいと決心した。抽象主義的空間の具体的な把握にあたって、人間の資質と物質の特性との結合が考えられた。
個人の資質と選ばれた物質とがオートマティズムのるつぼの中で結合されたとき、われわれは未知の、未だ見て経験しない空間の形成に驚いた。オートマティズムは必然的に作家のイメージをのりこえてしまう。われわれは自身のイメージに頼るよりは空間創造の自己の方法の把握に腐心した。
例としてメンバーの一人木下淑子の場合についていえば、彼女の経歴は女学校の化学の教師にすぎないけれど、化学薬品を濾紙の上でかけ合わせることによって不思議な空間をつくり上げた。或種の予測はついてもその結果 については、薬品を操作した日の翌日にならなければわからないのだ。しかしこの不思議な物質の様相は彼女のものだ。ポロックのあと幾万のポロックが出現したか知れないがポロックの栄光は消え去りはしない。発見が尊重されねばならない。
白髪一雄は巨大な紙の上にペイントの塊を置いて激しく足で絵具をのばしはじめた。彼のこの前人未踏の方法は所謂体当りの芸術として二年この方ジャーナリズムにとりあげられたけれど、白髪一雄は何とその奇妙な制作の有様を発表したのではなく彼の資質が選択した物質と彼自身の精神の動態との対立、総合の方法を極めて首肯し得る状態で獲得しただけだ。
嶋本昭三は白髪の有機的な方法に対して、数年来機械的な操作への執心をつづけていると云ってよい。ラッカーをつめたガラス瓶を烈しくぶち破って飛びちる飛沫の絵画や、時には手製の小型の大砲に顔料をつめて、アセチレン瓦斯の爆発で飛散させた一瞬で成立する大画面 など息をのむような新鮮さを示した。
その他鷲見康夫のバイブレーターを用いた作品、吉田稔郎の単一な絵具の塊の作品等。これ等の制作行動は真面 目な襟を正させる気魄をもつことを知って欲しい。
又未知のオリジナルな世界の追求は所謂オブジェの形式で多くの作品を産んだ。これは芦屋で毎年催す野外展への条件も刺激になったと思うのだが、諸種の物質ととり組んだ作品はシュールレアリズムに於けるオブジェとは題名や意味を嫌った点でもその相異がわかると思うが、具体美術のオブジェは色を塗って折りまげた一枚の鉄板であったり(田中敦子)、赤い硬質ビニールでつくった蚊帳の如き形態であったり(山崎つる子)した。あくまでこれ等のオブジェは物質の特性とその色や形による訴えにすぎなかった。
併しわれわれは別に会として規正したわけではない。あくまで自由な創造の場である限り色々な実験が極めて活発に行われはじめた。即ち、体全体で味わう芸術、触覚の芸術、具体音楽(これは嶋本昭三が数年前から極めて興味のある実験的作品を試みている)迄ある。
嶋本昭三の歩いて感じる凹む橋の如き作品村上三郎の体ごと中に入って空を覗く望遠鏡の如き作品金山明のビニールの袋の有機的な弾力をもつ作品、等である。又田中敦子は点滅する電球で作った「衣服」と称する作品を、元永定正は水や煙の造形をはじめた。
すべて未知の世界への果敢な前進を具体美術は高く尊重する。一見ダダと比較され混同されることも多いがダダの業績を再確認しつつあるわれわれではあるが、ダダとは異って、可能追求の場に於ける所産であることを信じている。溌らつたる精神が具体の展覧会には常に流れ、新しい物質の生命の発見がすさまじい叫び声を発することをわれわれは常に願望しているのだ。1956年10月(『芸術新潮』1956年12月号掲載)