国吉康雄

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アメリカ近代絵画の代表的作家の一人として活躍した国吉康雄
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国吉康雄「メイン州サウス・バーウィック」
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 作家名 国吉康雄
 制作年 1934
 技法 リトグラフ
 絵サイズ 縦22.9X横32cm
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦59.2X横67.8cm
 額の状態 若干傷有
 サイン 国吉康雄鉛筆サイン
 額の仕様 黒金額縁
 マット 麻布マット
格安卸価格18万5000円
税込199,800円

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国吉康雄

国吉康雄「自転車乗り」
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 作家名 国吉康雄
 制作年 1939
 技法 リトグラフ
 絵サイズ 縦32X横22.9cm
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦58X横47cm
 限定 250部
 額の状態 ほぼ良好
 サイン 国吉康雄鉛筆サイン
 額の仕様 焦茶色木地額縁
 マット 白紙マット
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国吉康雄

国吉康雄「煙草を持つ女」
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 作家名 国吉康雄
 制作年 1928
 技法 リトグラフ
 絵サイズ 縦24.5X横29cm
 絵の状態 良  好
 額サイズ 縦55.2X横59.6cm
 限定 26部
 額の状態 ほぼ良好
 サイン 国吉康雄鉛筆サイン
 額の仕様 木地額縁
 マット 白紙マット
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国吉康雄

1889年 9月1日岡山市中出石町に生まれる
      (現出石町1丁目)

1906年 岡山県立工業学校(染繊科)を退学
      カナダのヴァンクーヴァー経由でアメリカ
      合衆国に入国、シアトルで就労

1907年 ロサンゼルスに移る、働きながらロサンゼ
      ルス美術学校夜間部に通う

1910年 飛行家を志すが断念、ニューヨークに移る
      雑役労働に追われながらも美術学校を転々
      とし、断続的に勉強を続ける

1914年 インディペンデント・スクール・オブ・アーツ
      に入学
      ヨーロッパ美術の新しい傾向に触れる

1916年 アート・スチューデンツ・リーグに入学
      恩師ケネス・ヘイズ・ミラー、終生の友となる
      良き級友たちに巡り合う

1917年 独立美術家協会第一回展に出品
      前衛的な画家の集団ペンギンクラブに加わる
      リーグより授業料免除の奨学金を得る 

1918年 ハミルトン・イースター・フィールドの招きで
      メイン州オグンクイットで制作
      ブルックリンのアパートを与えられ、フィー
      ルドの援助を受けることになる
      ジュール・パスキンと出会う 

1919年 リーグの学友キャサリン・シュミットと結婚
      生計のため商業写真家(美術作品の撮影)とし
      て働き始める 

1920年 リーグを退学
      商業写真家として働きながら制作を続ける 

1922年 ニューヨークのダニエル画廊と契約
      ウッドストックの出版社が国吉の画集を出版
      フィールド死去 

1925年 キャサリンと二人で初めてヨーロッパに旅行
      滞在期間10ヶ月の大半をパリで過ごし、新た
      な方向を模索
      パスキンの助言でモデルを使った制作を試みる 

1928年 制作上の行き詰まり打開のため、永住を決意し
      て再びパリに渡る
      集中してリトグラフを制作
      ニューヨークに戻る
      パリで制作したリトグラフ24点をダニエル画
      廊で展示 

1929年 ウッドストックに家を建て、以後、そこで夏を
      過ごす
      ニューヨーク近代美術館の「現存アメリカ19人
      展」に選ばれる

1931年 病床の父を見舞うため、25年ぶりに帰国
      岡山、東京、大阪で個展を開くがあまり注目さ
      れず。軍国主義の台頭に驚く 

1932年 横浜出港、帰米の途につく。船中で父の訃報を
      受ける
      キャサリンと離婚
      美術家団体アン・アメリカン・グループの設立
      に関わる
      ラジオ・シティ・ミュージック・ホール中二階
      婦人化粧室の壁画を完成

1933年 ダニエル画廊閉鎖に伴い、新たに契約を結んだ
      ダウンタウン画廊で個展開催
      母校リーグで教職に就く
      画廊との契約もリーグでの仕事も生涯続く
      母死亡、ただ一人の肉親を失い日本との絆は切
      れる

1934年 数多くの展覧会に出品
      「第129回年次展」でテンプル・ゴールド・メダル
      受賞
      (ペンシルヴァニア・アカデミー・オブ・ザ・ファ
      インアーツ)
      ロサンゼルス・カウンティ美術館展で二等賞受賞

1935年 サラ・マゾと再婚
      グッゲンハイム奨学金を得る
      サラを伴いアメリカ南西部とメキシコをスケッチ
      旅行

1936年 ニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチ
      で教え始める
      左翼系の美術家団体アメリカ美術家会議に参加す
      るが、まもなく退会 

1937年 ウッドストックのアトリエに暗室を設け写真に
      熱中する 

1939年 アン・アメリカン・グループの会長に選出(-44)
      ボルチモア美術館の「6人の現存アメリカ作家展」
      に選ばれる
      ピッツバーグのカーネギー「第37回国際絵画展」
      で二等賞受賞 

1940年 自伝的随筆「東から西へ」を「マガジン・オブ・
      アーツ」誌に寄稿
      アメリカ北東部ニューイングランド地方をスケッ
      チ旅行 

1941年 アメリカ中西部をスケッチ旅行
      日米開戦により、国吉の法的身分は外国人居住者
      から敵性外国人となる 

1942年 アメリカ合衆国戦時情報局の要請により、日本人
      向け短波放送の演説原稿を書く
      ダウンタウン画廊で回顧展を開き、入場料を中国
      救済基金へ寄付する 

1944年 ペンシルヴァニアアカデミー「第139回年次展」で
      ヘンリー・シャイト記念賞受賞
      カーネギー「アメリカ合衆国絵画展」で一等賞受賞

1945年 「第56回アメリカ絵画年次展」でノーマン・ウェ
      イト・ハリス青銅牌受賞 
      (アート・インスティテュート・オブ・シカゴ)

1947年 美術家組合の初代会長に選出され(-51) 

1948年 「ルック」誌が現代アメリカの10人の画家に選出
      ホイットニー美術館が現存画家としては初めての
      回顧展を開催
      シンシナティ美術館「アンアメリカンショー」に6人
      の米人画家の一人として出展
 

1952年 カルダー、ホッパーと共にヴェネチア・ビエンナー
      レのアメリカ代表作家に選出
      毎日新聞社主催「第一回日本国際美術展」のアメリカ
      部門の作品を選考
      戦後はじめてアメリカ現代美術を日本に紹介 

1953年 5月14日胃癌のためニューヨークで逝去 享年63歳
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