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マリー ローランサン

Marie Laurencin(1883-1956)

パリ10区で私生児として生まれた(ただし、資料によって
は1885生まれとなっている)。父はのちに代議士となったア
ルフレッド・トゥーレ(1839-1905)だが、マリーは彼が父親
だということを長い間知らなかった。母はコタンタン半島
出身のポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
パリ9区のリセ・ラマルティーヌに学び、画家を志し、アカデ
ミー・アンベールで絵を勉強する。ここでジョルジュ・ブ
ラックと知り合い、キュビスムの影響を受けた。1907にサ
ロン・ド・アンデパンダンに初出展。このころ、ブラックを
介してモンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)
という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家の
ギヨーム・アポリネールと知り合った。1908と翌年に『ア
ポリネールとその友人たち』と題し2作を残した。

アンリ・ルソー作「詩人に霊感を与えるミューズ」(ギヨーム
・アポリネールと彼のミューズであるローランサン)1909
アポリネールと出会った時、彼は27歳、ローランサンは22歳。
二人は恋に落ちた。だが1911にアポリネールがモナリザ盗
難事件の容疑者として警察に拘留された頃には(彼は無罪
であったが)、ローランサンのアポリネールへの恋愛感情
も冷めてしまった。その後もアポリネールはローランサン
を忘れられず、その想いを歌った詩が彼の代表作「ミラボー
橋」であるという。

1912に開いたローランサンにとって初の個展は評判となり
、その後、次第にキュビスムから脱する。ローランサンが30
歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家として知られ
るようになった。1914に31歳でドイツ人男爵(オットー・
フォン・ヴェッチェンと結婚。これによりドイツ国籍とな
ったため、同年に第一次世界大戦が始まると、はじめマド
リード、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。
戦後、1920に離婚して単身パリに戻る。

パリに戻ったローランサンは、パステルカラーの簡潔で華
やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、
フランス史上狂乱の時代(Les Annees Folles)と称された
1920代にあって、時代を体現した売れっ子画家となった。
パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文する
ことが流行となったという。離婚後はバイセクシャルでも
あった。

舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功した。関わったも
のとしては、フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』の

舞台装飾や、オペラ・コミック座の『娘たちは何を夢みる』
、コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演された
ローラン・プティのバレエなどが知られている。

第二次世界大戦の際はフランスを占領したドイツ軍によっ
て自宅を接収されるといった苦労もありながらも、創作活
動を続けた。1954、シュザンヌ・モローを正式に養女とする。
1956にパリにて心臓発作により死去した。72歳没。

1987年12月28日パリの通りにローランサンに因んで「マリ
ー・ローランサン通り」と名付けられた。

マリー ローランサン年譜

1883 パリで私生児として生まれる

1893 パリのリセ・ラマルティーヌ高校に入学

1902 女子師範学校の準備を止め、製陶所で磁器の絵付け
   の講習に通う

1903 画商アンリ=ピエール・ロシェと出会う

1904 リセ・ラマルティーヌ卒業
   画塾アカデミー・アンベールに入り、ジョルジュ・
   ブラックらと出会う

1905 ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・
   ラヴォワール(洗濯船)でパブロ・ピカソや詩人で
   美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う

1907 ギョーム・アポリネールと恋に落ちる
   アンデパンダン展に初出品

1908 「狩りをするディアナ」製作

1909 「アポリネールとその友人達U」を発表

1910 「乙女たち」を描く

1911 ニコル・グルーと出会い、生涯の親友になる
   アポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者(無罪)
   として警察に拘留されている間に、ローランサンの
   アポリネールへの恋愛感情も覚め、訣別
1912 パリのバルバザンジュ画廊において初展覧会
   「家具付きの貸家」製作

1913 母ポーリーヌ死去
   ドイツ人画家オットーフォン・ヴェッチェンと出会う
   「読書する女」「アンドレ・グルー夫人ニコル」製作
1914 ヴェッチェンと結婚し、スペインへ亡命

1916 バルセロナへ転居
   アポリネールが戦争で負傷

1917 ピカビアの主催するダダの雑誌「391」に挿絵を提供

1918 アポリネール死去

1920 デュッセルドルフへ転居

1921 パリへ転居
   ロザンベール画廊での個展が成功する

1922 ヴェッチェンと離婚

1923 肖像画を描き始める
   ジャンコクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装を担当

1925 シュザンヌ・モローと同棲

1932 「パリ16区のアトリエ」にて教鞭をとる

1949 ポール・モイリアン書店にて「友人達の肖像展」を開催

1951 「セーヌ川の顔」発行

1954 シュザンヌ・モローを養女にする

1955 パリにて心臓発作で死去 享年73歳

代表作
『アポリネールとその友人たち』別題『招待』(1908)
(ボルティモア美術館)
『アポリネールとその友人たち』(1909)
(ポンピドゥー・センター)
別題『田舎の集い』又は『高貴な仲間』『友人たちの会合』
『The Dreamer』(1910- 1911)(ピカソ美術館 (パリ))
『二人の少女』(1915)(テート・ギャラリー)
『シャネル嬢の肖像』(1923)(オランジュリー美術館)
『接吻』(1927頃)(マリー・ローランサン美術館)
『舞台稽古』1936の万国博覧会のために制作
『花摘む少女』(1948)(個人所蔵)

マリー・ローランサン美術館
長野県茅野市の蓼科湖畔にあったマリー・ローランサン美術
館は、世界でも唯一のローランサン専門の美術館であった。
東京のタクシー会社・グリーンキャブ創業者の館長・高野将
弘が収集した個人コレクションをもとに、ローランサンの生
誕100周年にあたる1983に開館。収蔵点数は500点余りを数
えたが、観光客減少のため2011年9月30日をもって閉館した。
その後、フランス、パリのマルモッタン・モネ美術館、台北の中
正紀念堂、台中の国立台湾美術館、日本各地での巡回展示を経
て2017年7月15日ニューオータニガーデンコート6階で美術
館が再開したが、2019年1月14日を以って再び閉館となった。
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