マリー ローランサンarie Laurencin
1883年 パリで私生児として生まれる
1893年 パリのリセ・ラマルティーヌ高校に入学
1902年 女子師範学校の準備を止め、製陶所で磁器の絵付け
の講習に通う
1903年 画商アンリ=ピエール・ロシェと出会う
1904年 リセ・ラマルティーヌ卒業
画塾アカデミー・アンベールに入り、ジョルジュ・
ブラックらと出会う
1905年 ブラックを介して、モンマルトルにあったバトー・
ラヴォワール(洗濯船)でパブロ・ピカソや詩人で
美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う
1907年 ギョーム・アポリネールと恋に落ちる
アンデパンダン展に初出品
1908年 「狩りをするディアナ」製作
1909年 「アポリネールとその友人達U」を発表
1910年 「乙女たち」を描く。
1911年 ニコル・グルーと出会い、生涯の親友になる
アポリネールがモナ・リザ盗難事件の容疑者(無罪)
として警察に拘留されている間にローランサンの
アポリネールへの恋愛感情も覚め、訣別
1912年 パリのバルバザンジュ画廊において初展覧会
「家具付きの貸家」製作
1913年 母ポーリーヌ死去
ドイツ人画家オットーフォン・ヴェッチェンと出会う
「読書する女」「アンドレ・グルー夫人ニコル」製作
1914年 ヴェッチェンと結婚し、スペインへ亡命
1916年 バルセロナへ転居
アポリネールが戦争で負傷
1917年 ピカビアの主催するダダの雑誌「391」に挿絵を提供
1918年 アポリネール死去
1920年 デュッセルドルフへ転居
1921年 パリへ転居
ロザンベール画廊での個展が成功する
1922年 ヴェッチェンと離婚
1923年 肖像画を描き始める
ジャン・コクトー台本の「牡鹿」舞台装置と衣装を担当
1925年 シュザンヌ・モローと同棲
1932年 「パリ16区のアトリエ」にて教鞭をとる
1949年 ポール・モイリアン書店にて「友人達の肖像展」を開催
1951年 「セーヌ川の顔」発行
1954年 シュザンヌ・モローを養女に
1956年 パリにて心臓発作で死去 享年73歳 |