中山忠彦(1935- )女性美を追求した作品で人気を博しています。現在の日 本洋画界を代表する画家の1人であり、日展、白日会展 を中心に活躍し、日本芸術院会員、日展理事、白日会会 長等も務めています。 中山は福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれ、大分 県中津市で育ちました。高校卒業後、上京して伊藤清永 絵画研究所に入門し、内弟子として約4年間の指導を受 けて独立します。 画業初期にあたる当時、画家は師を倣って裸婦像に取 り組み、単身像や二人像、群像を通して光の描写や構図 の研究に励みます。しかし、のちに妻となる良江との出 会いをきっかけに、主に良江夫人をモデルとする着衣の 女性像を描くようになりました。モデルが着用するのは 作家本人が収集するアンティーク・ドレスの数々です。 その優美で質感豊かな表現がモデルの内面を浮かび上が らせます。 中山忠彦年譜 1935 3月20日福岡県小倉市に生まれる 1944 戦争激化に伴い両親の出生地に疎開 1953 上京し、大垣誠三氏より伊藤清永氏に紹介される 伊藤清永先生の紹介で阿佐ケ谷洋画研究所に入る (三輪孝氏主宰) 県立中津西高を卒業 東京芸術大学を受験するも不合格 岩崎電気鰍ナデザインのアルバイトをしながら、 夜間阿佐ケ谷洋画研究所に通う 伊藤絵画研究所が開設され内弟子として入門する 1954 第10回日展に「窓辺」60号が初入選 1958 白日展に「群像」を出品、会員に推挙される 1966 市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居 (現市川グランドホテル) 1968 大阪・日仏画廊にて初の個展 1969 彩壷堂にて個展 1974 リトグラフ集「Les Trois Femmes」を出版 1979 石版画集「粧」を出版 1980 白日展に「妝う」80号を出品し、内閣総理大臣賞を 受賞 1981 石版画「花かざりの帽子」を刊行 銅版画集「優しき相貌」第1集を刊行 1982 石版画「妝」を刊行(大日本絵画刊) 1983 「中山忠彦画集」を出版(求龍堂) 1984 石版画「襟飾り」を刊行 銅版画集「優しき相貌」第2集を刊行 1985 「昭和世代を代表する作家シリーズ中山忠彦展」 開催−新宿伊勢丹・名古屋松坂屋・大丸心斎橋・ 福岡県立美術館を巡回 1987 石版画「羽根かざりの帽子」を刊行 1988 日展会員となる 「中山忠彦作品集」を出版(講談社) 1989 大分県中津市に木村記念館が開館、 作品が常設展示 1990 国際花と緑の博覧会の迎賓館・政府苑貴賓室に 「花装」がされる展示 同博覧会協会の依頼により石版画「双花」を制作 する 1991 銅版画集「優しき相貌」第3集を刊行 1994 石版画「ローブ・ド・パル」を刊行 1996 日展に「華粧」100号を出品し、内閣総理大臣 賞受賞 1998 「黒扇」にて日本芸術院賞受賞日展理事となる 日本芸術院会員となる 1999 日展常務理事となる 2001 日展事務局長となる 市川の文化人展「洋画家中山忠彦・美の世界展」 を開催 松屋銀座にて「デッサン展」を開催 (朝日新聞社主催) 2002 日会会長就任 市川市文化振興財団理事となる 2007 市川市市政功労賞受賞 北九州市民文化賞受賞 2009 日展理事長就任(〜'13) 中津市民栄誉賞受賞 2014 市川市名誉市民として顕彰される 2015 市川市文化振興財団理事長就任 日展理事を退任し、新顧問に就任 2019 旭日中綬章受章 |