織田広喜(1914-2012)1932 画家を志し、上京 1934 日本美術学校絵画科入学 講師には大久保作次郎、後に藤田嗣治、林武らが指導 1938 「みずゑ」主幹の木下正男邸に書生としてつとめる 1939 日本美術学校西洋画科卒業 1940 第27回二科美術展に『未完成(室内)』が初入選 1946 第31回二科美術展で「黒装」が二科賞受賞 1948 岡田謙三の家に住み込み絵に専念 1950 岡田が渡米し、中原実の家に移る 二科会会員に推挙される 1951 萬宮リラと結婚 1953 長男広比古誕生 1954 銀座で初の個展開催 1960 初めての渡仏、翌年6月に帰国する 1967 第6回国際形象展の招待出品作で愛知県美術館賞を 受賞 1968 日本橋で個展開催 第53回二科展で内閣総理大臣賞を受賞 1969 「織田広喜画集」(日仏画廊)刊行 次男きじ男誕生 1970 4度目の渡仏 1971 パリのエルヴェ画廊で個展開催 第56回二科展で青児賞受賞 石版画集<パリの女>第一集刊行 1973 パリで個展開催 1975 銅版画集<湖と白鳥と少女たち>刊行 1980 二科会常務理事となる 1981 「織田広喜画集」が刊行 1982 福岡市美術館で初期作から新作まで110点余の個展 1990 「織田広喜作品集」が刊行 ニューヨークで個展開催 1992 勲4等瑞宝章を受章 1994 ミュゼ・オダ開館 1995 恩賜賞・第51回芸術院賞受賞 芸術院会員に推挙 1996 碓井町立織田廣喜美術館開館 1998 妻リラ死去 享年71歳 2003 フランスの芸術文化勲章「シュヴァリエ」受章 赤い帽子・織田廣喜ミュージアム開館 2006 二科会理事長就任 2009 長男広比古死去 享年56歳 2012 5月30日 心不全のため死去 享年98歳 没後、従四位に追叙された ナシ畑や水田が広がるのどかな風景。実家のそばにある 千手川のせせらぎにはカワセミや野鳥が羽を休め、そこ でシジミやカニを捕って遊んだりと、美しい自然に囲ま れて幼少期を過ごしました。 3歳の頃、碓井村(現・嘉麻市)に引っ越してからは、父 ・鶴吉の影響で家にあった美術全集をオモチャ代わりに ルーベンスやダビンチなどの絵を画用紙に模写してボロ ボロにしていたといいます。 そんな思い出の地に、作品を手にしてくれた筑豊の多く の人や故郷に感謝を込めて、自ら寄贈した絵があります。 4人の女性が賛美歌を歌っているような牧歌的な代表作 「讃歌」。 農村の風土がにおうように感じられる色調の絵には、郷 里への思いがにじんでいます。 パリで見えたもの。 「きれいな建物だ」そう思って描いたことがありました。 後で聞いたら、ルーブル美術館でした。 言葉がわからないから感動し、好奇心がわくのです。 〜「絵筆とリラ」より〜 織田作品にはパリをテーマにしたものが多く見られます。 行きたくても行けずにパリを想像して描いた独創的な作 品もありましたが、1960、船で単身フランスへ。見るも のすべてが新鮮で、自然や風景、夜の女性の絵など“描 きたい”という直感のまま、一心不乱に描き続ける日々。 モンマルトルのサーカス小屋では、描く紙がなくなりチ ケットの余白にまで描いたことも…。 貧乏絵描きでも心は豊かでした。憧れのパリで学んだの は、フランス人の古き良きものを大切に守り抜く頑固さ 、そして何かを発見しようとする精神。 同時に「織田の絵は日本人だから描ける絵」=“まねで ない、個性のある絵”として、日本やフランスで認めら れ始めたのもこの頃からでした。 リラは「いま売れなくても平気。三十年くらいたったら 売れるのよ」と、よく山盛りのいわしを買ってきて切り 盛りしてくれました。 〜「絵筆とリラ」より〜 誰もが生きるのに精一杯だった戦後、初めての二科展。 そんな時代だからこそ夢のある絵をと、モダンな衣装を 着た女性を描いた大作「黒装」。その白と黒の力強いタ ッチがリラさんを惹きつけ、ふたりは出会いました。 結婚後、アトリエを兼ねたバラックの住まいを自分達で 手作りし、自らは絵筆を取ることなく夫と子ども達を支 え続けたリラ夫人。 物不足の時代、一度描いたキャンバスを水につけて絵の 具をはがしたり、洋服の芯地を畳針で縫い合わせてキャ ンバス代わりにしたり、幾つかの作品には今もその名残 が見られます。暮らしは質素でも、常におおらかな愛情 とうるおいのあった日々。リラさんは今なお永遠に、彼 の描く絵の中に生き続けています。 いい意味で、うそをついた絵のほうがいい。 キャンパスの上では自由。 楽しんで描こう。自分が楽しければ人も楽しいのです。 〜「絵筆とリラ」より〜 画家、織田廣喜 幼い頃から絶えず絵筆を握っていた織田画伯。 緑の木は黄色に、ワラ小積みは茶色に、空の色は黄色に といった具合に、色を自身の好きな色に調和させ、電信 柱など描きたくないものは画用紙から無意識に消してし まっていた少年でした。 また、多くの作品のモチーフとなっている国籍不明の女 性たちについて、彼はいいます。 「題材そのものを見て描いてもつまらない。 石ころを見ても天井を見てもモデルに見えるように想像 力を働かせ、その物に在る魂を描きたい」。 母・マサノさんや夫人のリラさん の姿が、作品のイメー ジとして重なって見えるのもそのせいでしょう。 夢を膨らませて、自由に楽しんで描く。 それが画家・織田廣喜の絵です。 主要作品 少女 讃歌(嘉麻市立織田廣喜美術館蔵) 黒装(福岡市美術館蔵) 北ホテル サンドニにて モンマルトルなど |