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フリードリヒ シュレーダー ゾンネンシュターン

Friedrich Schroder-Sonnenstern(1892-1982)

東プロイセンのティルジット生まれ。本名フリードリヒ・シュ
レーダー。色鉛筆でシュルレアリスムの絵を描いたアウトサ
イダー・アートの作家。「ゾンネンシュターン」とは、ドイツ語
の「太陽(Sonne)」と「星(Stern)」からなり、自らを「月の精の
画家」と称した。郵便配達夫の父と、のちに狂死した母の間の
13人兄弟のひとりとして誕生した。幼いころから行動が奇抜
で素行が悪く、感化院への入出を繰り返した。十代のころ美術
学校に入学するも退学処分となる。1915第一次大戦時に兵役
に着くが、自ら精神錯乱者と軍医に訴え、診断のうえ除隊処
分となり精神病院に入院。1918に精神病院を脱走するが数週
間後に捕まり、不治として終身拘束を言い渡される。のちに恩
赦で退院。28歳でベルリンに渡り、占星術師兼磁気治療師とし
て事務所を開く。1930に薬剤法違反、詐欺的医療行為、医薬品
偽造の罪で6週間の禁固刑を宣告され、さらに精神病院に強制
入院となる。そこで同じく入院していた画家の勧めで色鉛筆
で絵を描くことを始めた。作品がアンドレ・ブルトンの目にと
まるなどして、60歳を過ぎたころに画家としての名声を博す
が本人はそれを恨みに思う旨の文章を遺し、1982にベルリン
で没す。

螺旋や渦巻やハートが多用され、蛇をはじめ生物や身体部位
が歪な形でシンメトリーをもって描かれている幻想的でエロ
ティックな画風は、瀧口修造や澁澤龍彦らを魅了した。題名
には道徳的という言葉がたびたびつけられている。

ゾンネシュターン年譜

1892 リトアニア、東プロイセンのティルジット生まる
   本名フリードリヒ・シュレーダー
   郵便配達夫の父と、のちに狂死した母の間の13人兄弟
   のひとりとして誕生した

1906 女の子の衣服に小便をかけるなど数々なファナティッ
   クな悪戯により感化院に送られる

   十代のころ美術学校に入学するも退学処分となる

1915 第一次大戦時に兵役に着くが、自ら精神錯乱者と軍医
   に訴え、診断のうえ除隊処分となり精神病院に入院

1918 精神病院を脱走するが数週間後に捕まり、不治として
   終身拘束を言い渡される、のちに革命の末の恩赦で退院

1920 ベルルンに渡り、占星術師兼磁気治療師として事務所
   を開く

1930 薬剤法違反、詐欺的医療行為、医薬品偽造の罪で6
   週間の禁固刑を宣告され、さらに精神病院に強制入院
   となる
   そこで同じく入院していた「狂人=画家」の勧めで、色
   鉛筆で絵を描くことを始めた

1959 ベルメールの推薦により[国際シュルレアリズム展]に
   出品

   「ゾンネンシュターン」とは、ドイツ語の「太陽(Sonne)」
   と「星(Stern)」からなり、自らを「月の精の画家」と称
   した
   作品がアンドレ・ブルトンの目にとまるなどして、60歳
   を過ぎたころに画家としての名声をはくすが、本人は
   それを恨みに思う旨の文章を遺した

1982 ベルリンで没する

   螺旋や渦巻やハートが多用され、蛇をはじめ生物や身
   体部位が歪な形でシンメトリーをもって描かれている
   幻想的でエロティックな画風は、瀧口修造や澁澤龍彦
   らを魅了した
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